国立新美術館の「遠距離現在 Universal / Remote」後半はRemote「『リモート』化する個人」です。

デンマークのティナ・エングホフの《心当たりあるご親族へ》のシリーズは、一人暮らしの住人が亡くなって居なくなった部屋の写真。

デンマークではこういう人が亡くなると「心当たりあるご親族へ-男/女性,19xx年生まれ,自宅にて死去,200x年x月x日発見」という呼びかけが新聞などに掲載されるそうです。全ての写真のタイトルがその具体的な情報になっています。

床に血が付いてる部屋や、服が掛けてある部屋もあり、生々しいなあ。福祉の充実では世界屈指のデンマークですが、だから人は幸せなのかという問いかけ。どれも普通の部屋なのですが、決定的に何か足りない気がする、それが何かはわからないけど。

木浦奈津子はどこにでもある平凡な風景を写真に撮り、その写真をもとに油彩画を描くのだそうです。

作品はのタイトルはみな《こうえん》《き》《うみ》《やま》などなど。どれもみな、どこかで見たようでどこでもない、抽象画ならぬ抽象的風景画。

「『リモート』化する個人」で何故風景画、と思ったけど、見てると段々わかってきました。これがリモート化ということか。という理解でいいのかな?

エヴァン・ロスというアーティストの《あなたが生まれてから》は自身のPCの、自分の娘が生まれた日以降のキャッシュの中のデータ/画像を印刷して展示室の四方にびっしり貼った、没入型インスタレーション。アニメ映画「サマーウォーズ」とかのデジタル世界の中に入ったような気分になります。

人の頭の中を覗いてるようですけど、意図せず表示された広告などのキャッシュもあるので、個人の意識や記憶だけでなく社会の集団記憶も含まれます。娘が生まれたにしては育児や子供についての情報がほとんど無いのが気になったけど、まあ作者の意図はそこにないのでしょう。


最後の韓国のチャ・ジェミンによる《迷宮のクロマキー》は室内にあるケーブルをカメラがたどって外に出ると、ケーブルを敷設一人の男、そこから時々クロマキーを背景にしたパントマイムのような手のアップ映像を挟みながら、寡黙なこの作業員をカメラが延々と追います。

IT系の会社で働く人たちはデスクワークで高収入、一方でアナログの時に危険な肉体労働も絶対必要で、それほど高収入ではない。格差を取り上げているというと今時ありふれた感がありますが、手作業の尊さみたいなものも感じられます。

この展覧会、8人と1組のアーティストの展示なのですが、8人は男女4人ずつ。たまたまなのか意図的なのか、どうでしょう。