東京国立近代美術館の「中平卓馬 火―氾濫」を見てきました。
中平卓馬と横山大道は私にとってとにかくカッコイイ写真家で、特に中平は理論家でもあって、それがまたカッコイイ。

  《「来るべき言葉のために」より》
60年代末の「アレ・ブレ・ボケ」からほぼ年代順の展示は写真やスライドショーだけでなく彼の書いた文章も載った雑誌などもあり、中平卓馬の活動を広く知ることができます。


  《「見続ける涯に火が」》
もう、タイトルからしてカッコイイ。
「アレ・ブレ・ボケ」というのは、デジタルカメラが普及した現代からは考えられないかもしれませんけど、特殊な高感度のフィルムを使わずに普通のシャッタースピードで街中、特に夜や建物の中などを手持ちカメラで撮るので、ピントはボケるは暗いはで、中にはかろうじて何が映っているのかわかるような荒れた画面の写真のことです。
それ以前の木村伊兵衛とかのリアリズムは画を出来るだけ正確に画面に収めるというものでしたが、中平卓馬や横山大道はその場所の「空気」や「感触」、さらには「時間」まで伝えようとする別種のリアリズムです。


  《「風景」より》


  《「梱包する男 クリスト」》
こんなのもありました。当時の前衛演劇を取材したり、寺山修司や中上健次などとも仕事していて、写真に限らず文学やアートなど幅広い関心を持っていたんですね。

1970年代半ばあたりから中平卓馬は白黒の「アレ・ブレ・ボケ」はやめて、「私を私としてこの世界内に正当に位置づける」(「なぜ、植物図鑑か」より)ことを目指すとして、ピントのあったカラー写真を撮るようになります。


  《氾濫》
これは1975年にこの美術館で開催された写真展の展示を再現したもの。間をあけずびっしり敷き詰めるような並べ方や配置は中平自身が考えたそうです。まさに氾濫、やっぱりカッコイイなあ。


  《「吐カ喇」の一部》
都市ばかり撮っていたイメージのある中平卓馬ですが、沖縄など南の島もかなり撮ってたのですね、知らなかった。

  《「町よ!」の連載》
これは作家の中上健次が海外を舞台にした短編を書き、中平がその現地に行って撮った写真と掲載した連載です。


  《「キリカエ」の一部》
1980年代以降は被写体を的確に捉えて存在感を際立たせる写真を撮りまくります。今見ると携帯・スマホ写真の時代を先取りしてるみたいです。

展示数が多いので少し疲れましたが、写真好きには大満足の展覧会でした。