乃木坂駅から新国立美術館を通って六本木へ、「ルーブル美術館展」が行列できていて大盛況のようでしたけど、私は森美術館で現代アート、「ワールド・クラスルーム 現代アートの国語・算数・理科・社会」という、学校の教科からアートを見ていくという企画のようです。

最初は国語、日本語じゃなく言語。

米田知子の《見えるものと見えないもののあいだ》シリーズを見るのは3度目くらいかな。文人や芸術家などのメガネを通して本人の書いた原稿を見る写真です。本人の視線を想像させる、見るというより体験するアート。


ミヤギフトシの映像作品も2作くらい見てますけど今回の《オーシャン・ビュー・リゾート》は初めて見ます。同性の初恋の男性との再会をきっかけに個人の記憶から沖縄戦と戦後の記憶が語られていきます。


イー・イランというアーティストの《ダンシング・クイーン》ボルネオ製の竹の織物という伝統的な工芸に様々な女性が歌うロック/ポップソングの歌詞の断片が書かれています。「BECAUSE THE NIGHT BELONGS TO LOVERS」(パティ・スミス)とか「SWEET DREAMS ARE MADE OF THIS」(ユーリズミックス)「PAPA DONT PREACH」(マドンナ)など洋楽好きには探す楽しみもあります。


 ワン・チンソン《フォロー・ミー》

作家本人(たぶん)が扮する教師の背後の巨大な黒板には多数の欧米のブランドや商標名が、さらに彼の傍らにはコカ・コーラ。ユーモラスで皮肉たっぷりです。
 

次は社会科。
森村泰昌の《肖像(双子)》が扱うのはもちろんジェンダー。

絵画の中で描かれるジェンダーのステレオタイプを強く意識させます。


この森美術館で個展が開かれた社会派のアイ・ウェイウェイは《コカ・コーラの壺》とそれを落として割る本人の三枚組の写真。挑発的で刺激的です。

同じくここで個展やったディン・Q・レは、ベトナム戦争の従軍画家だった人たちへのインタビュー映像と、その人たちの描いたドローイングによるインスタレーション《光と信念:ベトナム戦争の日々のスケッチ》

 

東京国立近代美術館の戦争画の展示とは違った角度から、戦争と芸術について考えさせます。


なんてことない、普通の街の風景。でもこれが(最悪の人道危機にある)シリア出身のハラーイル・サルキシアンという写真家による《処刑広場》のシリーズと知ると、シンプルなだけに段々不気味に見えてきます。

風間サチコもありました。

 《獄門核分裂235》
この人にしては毒薄めかな。


これも一見平凡な、小さな池のある農地などの写真。カンボジア出身のヴァンディー・ラッタナによる《爆弾の池》シリーズ。ベトナム戦争時代に米軍に落とされた爆弾でできた池です。


次は畠山直哉の《陸前高田》シリーズ。ここまでの流れでこれらの写真見ると、津波という自然災害よりもその跡を更地にしてしまう人間の方が惨酷に思えて来る。



青山悟の《Glitter Pieces》シリーズは雑誌「ニューズウィーク」の注目した写真とその裏に印刷されていた記事をミシンによる刺繍で再現したもの。基本的に格差とかを描いてるんですが、作品制作自体が時間のかかる労働なので、それ自体が労働と報酬のアンマッチを表現してます。

今回はここまで。森美術館は今年で創立20年だそうです。今までアジアの作家を多く紹介してきた森美術館だけにアジアの現代作家が多いですね。