またアート展の話です。
北欧フィンランドのアーティストの回顧展という以外何も知らずに、東京ステーションギャラリーの「ルート・ブリュック 蝶の軌跡」を見に行きました。

 

フィンランドといったらアキ・カウリスマキ(映画監督)とシベリウス(作曲家)とトーベ・ヤンソン(ムーミンの作者)くらいしか思いつきません、美術は全く初めてかも。

 

3Fの展示室には皿などに絵を描いた作品や対象の形にした陶器の板(陶板と言うそうです)に彩色した作品が展示されています。

女性たちの生活の一場面を描いた絵は、女性にしか思いつかない(たぶん)小道具の使い方とかが面白いです。


《散髪》では、さっきまで人形で遊んでたらしい女の子が「ほら、髪切ってあげるから!」って言われて、髪切られながらちょっとふくれて鏡を見てる。時計はまるで童話の世界から持って来たみたいな不思議な形してます。時計だけ女の子の空想なのかも。

 

これは《コーヒータイム》という作品です。床やテーブルや壁、花と葉、皿の縁もそれぞれ同じ模様の繰り返しですが、手描きということもあり、色の濃淡や形が一つ一つ微妙に違っていて、固くて冷たい陶器なのに手の温もりを感じます。

 

この《東方の三博士》は、ほとんど陶器を削った地の色と青の濃淡だけで聖書の夜の場面を描いてます。この人、絵は素朴ですけど色の使い方が抜群です。

 

これは輪郭部分を高く浮き上がらせて、それを境界にして釉薬というガラスみたいなのを流し込むという方法で作っているらしいです。色は表面でなく釉薬の向こうに塗られています。写真ではわかりませんが、釉薬の表面が盛り上がっているので反射する光が水面みたいにゆらめいて、釉薬の下の色がたゆたうみたいで神秘的です。同じ方法で鳥や静物も作ってますが、この技法には魚が一番あってると思います。

 

聖書の場面や教会もこの技法の作り出す神秘的な色と光にぴったりです。特に深い青や緑がいいですね、深い精神性を感じます。個人的にこの色と質感はツボです。

 

2Fは1950年代後半以降の作品の展示です。このあたりから作風がかなり変わって、一枚の陶板でなく小さな陶器の組み合わせで作品を構成していくようになり、描くものが具象から抽象に変わっていきます。

近寄って見ると、うぎゃー細かい! 

一つ一つに手描きで模様や草花などが描かれています。気が遠くなりそう。

 

そこからさらに進んで、形は単純化され表面の模様や絵もなくなり、幾何学図形の組み合わせみたいになります。モンドリアンみたい。

形はパターン化され色数も少なくなりますが、大きさと高さが異なり、それを多数集積することで、とても複雑で豊かな世界が生まれます。
さらに色を付けてない白い陶器だけの作品や青の濃淡だけの作品も。

 

あれ、さっきも「青の濃淡」って書いたな? そうか、初期の皿に手描きで描いた絵だ。そう考えると後期の陶器を組み合わせた作品って、あの床や壁や服の柄に手描きでやってたことを、立体で大規模にやってるということなのかもしれません。

 

今回私が一番気に入ったのはこの《木》です。

白地に黒と一部赤や青で構成された大樹です。一つ一つの形はほとんど正方形や円など単純で色数も少なく、まるで味気ないデジタル絵画みたいですが、全て陶器なので細部を見ると大量生産品と違って微妙にずれや隙間があり、単純ではありません。そして全体を見ると、プラスティックにはない重量感があり、ほとんど色がないことが逆に想像をかきたてます。私みたいな凡人はこれを黒でやろうなんて絶対思いつきませんね。

 

ルート・ブリュックって全然知らなかったし、私だけでなく日本でほとんど知られていなかった人ですが、この展覧会で好きなアーティストになりました。同様に全然知らなかったけど好きになったアーティストがこの2、3年くらいで何人もいます。ソール・ライター(アメリカの写真家)やオットー・ネーベル(スイスの画家)とか。まだまだこういうアーティストがいっぱいいといいな。