35歳のとき、まだ、考え方も未熟で人間付き合いも下手だった。




自尊心は強く、生活に不満を抱えていた。




当時、SNSで小説を書いていた。今、思えば、間違いもたくさんあった。人が気分を害することもあっただろう。



SNS上に、脅迫メールが来た。それをきっかけに私のページは炎上した。



SNSの恐ろしさを知ったのは、その送り主は、私の生活圏にいる、よく知った人だった。友達だと思っていた。バカだった。

ハンドルネームを「如月朔日」としていた。よく考えたら、彼女の誕生日だ。




その後? 思い出したくもない。

4人で徒党を組んで、相手はどんどんエスカレート。ひどいものだった。ほんとにひどかったな。





こちらはそのダメージから立ち上がるのに、何年もかかった。

恨みも抱いたし、外出も出来なくなった。携帯も手放した。そこから何年もインターネットを接続する恐怖に怯えて、繋ぐことをしなかった。







それから15年経った。

彼女は、その間、また、ターゲットを見つけては、諍いを繰り返していた。他の3人は知らない。が、平和ではなかっただろう。

私は、自分の醜さに向き合って、正しく生きようとしたり、もがいたり、人を赦すことにチャレンジしたり、たくさんの本を読んだり、私なりに生きた。

恥じたし、苦しんだし、悔やんだけれど、










今は思う。あの時は、あれで、





私の精一杯だった。



それが、たとえ、醜かろうとなんだろうと。





如月朔日。2月1日。今日、私は3冊目の本を出版した。




あえて、今日を選んだ。



私の大事な傷口の日。






15年前、心の中で、汚い言葉で何度も罵った。


怒りで眩暈がした。



けれども、失望と暗闇のその最中に、私は神様に会った。

神様なのか、なんなのかわからないけど。



ひとりぼっちで、足掻いている日々に、不思議体験を繰り返した。


頭の中に聞こえる声や、光に包まれる体験。

死んだら一つという理解。





ドン底だったから、気づいたのかも知れない。




今は、あまり体験しなくなった。


如月朔日。

この話は、今回、初めて外にこぼした。




人を心の底から憎いと思い、人を赦すとは何かを考えた。そして、わかった。


私は毎晩、寝る前に彼女を想像の中で抱きしめる訓練をした。吐き気に耐えて、怒りに耐えて。


今でも、会うと吐いてしまうだろう。

けれど、私はやれるようになった。彼女を抱きしめた。貴女もつらかったね、と。





彼女のおかげで、私は、それまで知らなかったことを知った。

人生とは何かを知った。



だから、彼女は、私のために、今回の人生で憎まれ役を買ってくれたのだと思う。



人生の幕を閉じた空の上で、カーテンコールのように役者が揃ったときに、心より感謝を述べよう。


今日は、もう、怖い日ではない。

めでたい日だ。15年、長いようであっという間だったな。


出版、おめでとう。私。