以前、興味深い話を聞いた。
ある、一見、仲のいい家庭の
父親の不倫の電話を中学生の娘が聞いてしまった。
その娘は、すぐに母親に訴え、家庭は崩壊し、
離婚泥沼状態で、その先、娘や息子が結婚したあとも、その夫婦関係すらおかしくなり、スパイラル的な不幸でナンタラカンタラ。
その話を聞いたサバサバした熟年の女性が言った。
「それは、
中学生の娘が、惜しい!
知らん顔して黙っててやれば良かったのに。
人間には事情がある。騒立てずに飲んであげればまた、状況は変わっていた。」
と、意見を言った。
確かに、思春期の娘さんには難しいが、一理ある。
「裏切った。裏切られた。許せない。傷つけられた。」
わからなくもないが、あまりにも短絡的すぎる。
裏切りって何?
誰かに惹かれることが裏切りなのか、伴侶以外と一線を越えることが裏切りか?
裏切りってなんだろう。
私は、「マディソン郡の橋」という映画が好きだが、
長い人生を家族のために捧げてきて、ほんのいっとき、幸せな気持ちを味わうことが裏切りなのか?そのあとも、家族のために尽くしたとしても?
もし、それがなかったら、セックスの喜びも人に女として求められる喜びもなく、人生終わっていた。
それが正しい生き方なのか。
誰だって愛されたい。
伴侶にも、そしてそれが叶わないなら、伴侶以外でも。
心の安定は大事だ。
ただ、浮気や不倫を推奨してるわけではない。
もし、そのことが起こったときに
「裏切られた」ではなく、「自分は悲しい思いをした」これが正解なのだ。
伝えるとするならば、そう伝えるのが正しいと思う。
そしてそれが、なぜかとかえりみる。
伴侶は、もともと浮気性な性格だったということもあるだろうし、結婚生活に何か問題があったということもあるだろう。
ただ、裏切られたのではない。そもそも裏切りって何?謀反?
自分は、絶対にしない。したくないから。そう思うのはある意味素晴らしいだろう。
つまり、自分がどう思うか。
でも、自分も伴侶も親も完璧じゃない。人間だ。
そう、自分だって完璧じゃないんだ。
ただ、したくない人、あるいは軽い気持ちでするのは、失うものが多すぎる。
自分がいざ、死を迎えるときに、どんなふうに迎えたいか。
潔白のまま迎えたい。
秘密や間違いはあったかも知れないが、家族が仲の良いまま迎えたい。
ゆるせない。死んでも恨んでやる。
自業自得だから、孤独でゆこう。
ほんのいっときでも、男である喜び、女である喜びを思い出せて良かった。清濁併せ呑んでいい人生だった。
いろんな考え方がある。
ただ、人のことは構わないことだ。
自分の人生だけ考えればいい。
たとえ親であろうと子であろうと、人の人生をジャッジしないことだ。
私はそう思った。