さて、暗闇にいる子どもたちの続きを話そう。
例えで出てきた、食事を与えられなくて畑でキャベツをかじっていた男の子の話だ。
学校の計らいで、彼は近隣の市町村の旅館の板前修業として、住み込みで働くことになった。
その学校には理解してくれる支援者がたくさんいて、その旅館の親方はその1人だった。
彼は、そこで板前修業をしながら働き、住まわせてもらった。
真面目に働いていたが、学校に行くと言って旅館を出て、学校に来ない時もあった。
親方は、こっぴどく叱ってくれて、我が子のように愛情をかけて育ててくれた。
学校をサボった日は、彼を捕まえて私も一緒に親方への反省文を考えて書き、学校印を押して持たせた記憶がある。
数年して、彼は板前としての腕も上がり、もらった給料で、洋服やステレオを買ったりしていた。
6、7年目に、私はもうその学校を退職していたが、たまたま用事があり、学校にいたら彼に会った。
ドクロがデザインされた黒いTシャツを着て、金のチェーンのネックレスをしていた。先月、車を買ったと言っていたが、
足を組み、椅子に胸をそらせて座り、ずいぶん雰囲気が変わったなと思った。
翌年、親方のお金を盗み、彼は姿をくらませた。
バッドエンドだ。
長い年月、彼の成長を願ってエネルギーを注ぎ続けた親方を思うとかける言葉もなかった。
当然、学校からも除名。厳しいけれど、そこは絶対に許してはいけないのだ。それが愛でもある。
学校や親方の思いやエネルギーは、無駄だったのだろうか。
私はそうは思わない。
まだ、20代。ドン底で考えたらいい。
愛は、わかったはずだ。
親方はもう高齢で、彼の人生の復活を見ることなくこの世を去るかも知れない。
私ももう、どこからも情報は入って来ないだろう。
それでも、彼が、自分に向き合って、改心して世のために働いてくれる日を信じている。
教育は、9割裏切りだと聞いたことがある。なるほど確かに。
けれど、すべての結果は、
あの世で聞きましょう。まだ、結末はわからない。
そう思って、今も先生たちは戦っているのだと
私は思う。