今日は7日だったことをすっかり忘れ、普通に朝ごはんとお弁当を作り
夕ご飯で七草粥を出したクジラです。
今日は、例の不登校の中学生の学習支援のはずでしたが、待てど暮らせど来る気配もなく、
仕方なく鶏のちーちゃん、烏骨鶏のぴーちゃんと戯れて気晴らし。
鶏は、すごく人懐っこいのですが、烏骨鶏は全然人に懐かない性質らしく、
私が近寄るとまるで人さらいのように暴れ、逃げる。悲
でも、毎日卵を産んでくれるから許す。
そんな日中でした。(こんなんだったら仕事入れればよかった)
今は、学校がとかく攻撃されがちな風潮ですが、本当に先生方もやりにくくなっただろうなと思います。
私はもともと、公立小学校に勤めていました。(その後、院内学級や通信制高校、私立中学などいろいろ体験しました)
小学校の1時間は45分。
その45分にいかにドラマを作れるかなんです。毎日、前日までに、6時間分の各教科のドラマを準備する。どんな言葉で問いかけ、どんなふうに展開させてどうまとめるか。
その授業はやり直しは決してできないんです。
その学びを、初めて知ったときいかに印象深くその子の心に残せるか。いろんな工夫をして教具や掲示物を作って、その一回きりしか使わない。
例えば国語。名作がいっぱいありました。スイミー、ごんぎつね、一つの花、、、。
その名作を味わい、疑問を持ち、発表し、話し合い、意見に意見が出されます。
子どもたちは、私たちには想像も出来ない純粋で深い考えを出してきます。
教師の予想を超えて、その授業がまとまったときの感動は忘れられません。
でも、教室に大人は1人しかいなくてその感動を誰にもシェア出来ない。
例えば算数。苦手な子どもがみんなに助けられて解けたとき。拍手が出る。
あのあたたかい空気感は二度と体験できない。
喧嘩をした子どもたちが、仲直りして遊ぶ昼休み。
みんなで最高記録を出した大縄跳び。
学校は素晴らしい場所だった。
ほんの20年前なのにね。
もう、今は様変わりしてしまいました。
学校は行かなくていい。
構いません、それで。
けれども、どうか、あの数々の名作を読んであげてほしい。
国語の教科書を全部読んであげてください。
九九を出来るようにしてあげてください。
外に出て、畑で芋掘りしたり動物の世話をさせてあげてください。
走って転んで、擦り傷を経験させてあげてください。
私は、そう思う。
でもね、転んだときに、手を差し伸べるべきは親じゃない。友達であるべきなんです。
人から受ける優しさを体験して、人は人に優しくなれる。
そんなことを思いながら、
また、明日も頑張りますか。