心身ともに疲弊し、当初の退職予定日を前倒しにしてもらってから3週間。
うつ状態からは抜けきれず、希死念慮が強かった。
自分の無意味さを噛み締める毎日。

薬が効いてきて、少し精神状態がましになったある日。久々に、ゆっくり可愛かずみさんの写真集を眺める。
あ、この表情、かわいい!っていうか、あいくるしい。

なかなか集中できず困ったけど、雰囲気だけは伝わるでしょうか。髪が短いから余計に可愛らしさが出てますね。


コロナが収束してくれたら、かずみさんの墓参に行きたいな…
うつ状態がひどく、退職日を前倒しして仕事を辞めてから3週間ほど経った。

身の置き所がない。
居場所がない。

ところ構わず爪を噛んでいる。
電車の中でマスクをずらして爪を噛んでいたら、周りの子どもたちが「大人やのに爪噛んでる!マスクずらしてる!」とはやし立て、近くにいた人たちが私を避けていった。

過食で8kg体重が増えた。
コンビニスイーツを買って、店の外ですぐ開けて立ち食い。店員さんに顔を覚えられるし、食べてるところを見かけた人たちがいぶかしげな顔をして、あるいは見なかったふりをして避けていく。

何してんだろ。

家に母といるから「ご飯を食べさせられる」と思ってる。「風呂に入らされる」と思ってる。

自分のケアなんかしてどうなるというのだ。
「生きるために必要なこと」と言われるけど。

何で生きていかなきゃいけないのか、その答えがわからない。




私には21年前から動けていないところがある。
7年間交際し、結婚するはずだった彼が統合失調症に罹患し、自死を選んだこと。
心理学を専攻し、心理士を目指していたのでできるだけのサポートはしたつもりだった…通院させ、ご両親に状態を説明をして入院させた。
彼の主治医からはキーパーソンだからということで電話がかかってきたのでいろいろな情報を伝え、また家族以外で唯一面会を許可してもらった。
仕事もあったため、自分の時間はなかった。
そのことに気づけないくらい、とにかく彼を支えていくのが私の日常だった。自分にしかできないとうぬぼれていた。

当然私の精神も蝕まれていった。
眠れない、何も手につかない。
職場でミスを連発し、同じ部署の人に「もうあなたと仕事したくない」と言われた。

うつ病。
私はそう診断され、彼と離れるために3ヶ月実家に帰ることとなった。
彼の親御さんに「少し距離を置かせて欲しいんです」と連絡をした。
「うちの子を放り出すんですか?もうけっこうです!」
真意が伝わらなかった。悲しさはその時は感じることができなかった。

3ヶ月が過ぎて復職しても状態は変わらなかった。
主治医からはしばらく彼と連絡を絶つようにと言われ、電話番号を変えた。
苦しかった。何でこんな時にうつ病とかなってるんだよって思った。

そして迎えたその日…
砂時計のように、何かがさらさらと流れ落ちて…瓦解した。

母が交際し始めてから彼が自殺するまでのことを、「心の中で美化してるんじゃない?」とほざいた。
妹さえいなければ、殺してやれたのに。

ふざけんな。


私が知る限り、30年くらい前は新聞の地方版に大学の合格者名や「おくやみ欄」というのがあって、個人情報が掲載されていた。
さすがに今は、個人情報の「重み」が違うから掲載されていないようだけど…

私の財布の中にずっと入っている、小さな新聞の切り抜き。
それは紛れもなく、きみの「おくやみ欄」。
亡くなった日付は10月22日。
もう21年が経過してしまったんだね。

その当日…
うつで家の中でボーッとしてて、でも…もう少ししたら電話が鳴るかもしれない、という変な考えが頭をよぎった。
そうしたら本当に電話が鳴って、共通の知人がきみが亡くなったことを伝えてくれた。

諸事情があってお通夜にも告別式にも出られなかった。

「何があったか知らないけど、最後ぐらい行ってやれよ!」と共通の知人たちに言われた。
でも、本当に無理だったんだ。ご両親…特にお母様には会うわけにいかなかったんだよ。
何があったか知らないのなら、今は何も言わないで…
私の口から彼が精神疾患にかかり、自殺に至るまでのことを話すわけにはいかないんだから。

まだメールがさほど普及していない時代。
きみの遺書が実家経由で送られて来た。
よく話していた死生観。
自殺に至るまでの心の動き。
薬の作用で手が震えるから、パソコンで入力されていたね。最後の署名だけは、震えの跡がある自筆だった。
これをプリントアウトして私の実家に送り…
それから何を考えたの?

高所恐怖症のきみがビルから飛び降りたと聞いた。
転落死を装ったらしいという話も聞いた。
怖かっただろうに…                                                                  

ひとことで21年と言っても本当に長いんだよ。
後を追えなかった後悔と、踏ん切れないヘタレの私。
まだ続くんだろうか…                                                                                                


退職してから約1週間。
笑えるくらい居場所がない。
家にいるのが嫌。これはずーっとそうだったけど。
家と職場以外に行くところがなくて、つらくて、早く死ぬしかないのかと思っていた。
その職場を去った今、どこに行けばいいのか…
「死ぬ死ぬって言ってるヤツに限って死なない」というパターンにはまりたくなくて、死にたい、死のうと思っていても、全然実行に移せない。
怖くて途中でびびってしまう。
結局今年も死なないまま、大切なひとが飛び降り自殺した日を迎えることになるんだろう。
きみはずっと26歳で、私だけが20年以上醜い生を重ねているよ…

人とどう関わっていいのかわからない。
一人でいる強さもない。
何とか仲間に入りたい。
でも全く興味のわかない話につき合うのはしんどい。

職場でいつも疲れるのは人とのつき合い。
うまく立ち回れない。
能力がないくせに、「いい人」「気働きする人」だと思われたい。

訳がわからない見栄と歪んだ自己満足。
謙虚にさりげなく、ということができない。

無理して話を合わせたり、休憩時間を削って仕事を手伝ったり。消耗してしまう日々の繰り返し。

昨日退職手続きをした。
月末まで働く予定だったけど、うつでドクターストップがかかってしまった。

階段から落ちてみて作った足の指の付け根の骨のヒビも、へっぴり腰でうすーく切ってみた腕の傷も癒えようとしている。
次はどんな罰を与えればいいのか。どんな傷を刻めばいいのか。
うつ状態がひどくて、普段は2週間に1度の診察なのだが「間を開けるのはダメ!」との主治医の言葉に従い、今日も受診。

今月末で退職することを伝えると「それまで静養のために入院しなさいよ」と言われる。
私は今月末まではがんばることが同僚や上司へのせめてもの恩返しだと思っていて、「今は入院はいりません」と答える。
「それは周りへの優しさや思いやりから来る気持ちよね?」と主治医。
「できれば迷惑をかけたくないので…休職したり入院したりとなると、私の業務を分担して負担してもらうことになるので」と私。
いきなり「なぜあなたは自分には優しくできないんだろう」と主治医。
面食らいながらも私は「自分に優しく?確かに自分で手を切ったり、自分から階段から落ちて足の骨にヒビ入れてますけど、やっぱりそれは自分に対する罰だと思っていますんで…」
と答えた。
「自分に優しくないと、相手への優しさがこんがらがってきちんと伝わらないよ」
「自分に優しく…そんな価値ないですから」
「ちょっと考えてごらん?」

自分に優しくって何なんだろう。どういうことなんだろう。

わからない。

「ここ」に存在していいのかどうかすらわからない自分に優しくなんてできない。

やっぱりわからない。

飛び降りようとしても、自宅の屋根からすら飛び降りられない。
階段の踊り場からも飛び降りられない。
目をつぶって自室から階段を降りてみたらどうなるか試してみたら、落ちるには落ちたが足の甲の骨にヒビが入っただけ。
カミソリを手に当ててみても、強く切れずに薄ーく血が出る程度しか切れない。

…どうしたいんだよもう。
夏の間に描きあげるつもりが、すっかり遅くなってしまいました…
やっぱりかずみさんの笑顔はいいなあ…と思います。


先日、わざと家の階段を踏み外してみたけど、足の指の付け根にヒビが入っただけだった。
とは言え、痛むものは痛む。

数日後。
職場の最寄り駅で送迎バスに乗ろうと階段を下りていたら(エレベーターもエスカレーターもない駅なので…)、あと3、4段のところで見事に転んだ。
ヒビが入った足も痛むし、反対側の変形性膝関節症の足も痛む。
しばらく立ち上がれず四つん這いの姿勢になるのがやっとだった。
同じ電車に乗っていた同僚が「それでは仕事にならないだろうから、今日は帰って病院行ったら?とりあえずみんなに言っとくから」と声をかけてくれ、落ち着いたところで職場に電話をし、休む旨を伝えた。

整形外科に行ったら、ヒビが広がっていたのでシーネ固定と松葉杖生活に。 

情けなさ倍増。