今、とにかく食べなきゃ落ち着かないモードに入っている。通勤中に顰蹙の眼差しを集めながらコンビニスイーツを食べる。帰りもそれは変わらない。ホイップクリームでないと満足できないからホイップクリーム系のスイーツを捜すのだが、カスタードクリームのものより値がはる。必然的に、もらう給料の中から小遣いとして取っておくお金では足りなくなる。抑えられない。

何で食べてしまうのか。
何でお金を無駄遣いしてしまうのか。

意志の弱さなのだろうか。
40年以上のおつき合いがあったお向かいのお宅がお家と土地を売り、引っ越して行かれた。
我が家も今住んでいるのは私と母だけなので、早いうちにどうするのか考えなくてはいけないらしい。嫁いだ妹との二人姉妹なので、相続したときに考えればいいと思うのだが、母はこの土地を完全に手放す気はないらしい。
できればたったひとりの孫(私の甥っ子)にも少しでも残してやりたいのだ、と言う。
確かに母が亡くなったら家も土地も私一人には広すぎて不要ではある。それこそ売って、単身用の賃貸物件に引っ越す方がいいだろうと思っているが、急に孫に…とか言われてもどうしろと?という感じである。
あげく、孤独死にならないよう事実婚状態でもいいからパートナーを探しなさい、とまでのたまう。妹の家に迷惑をかけないように、ということなんだろう。
でも正直そんなこと、考えられない。
朝から今日はドカ食いしたくないなあと思いながら食べてしまう。吐けないし、痩身用のサプリも下剤も買えない。太る一方で、毎日パニック。
髪を抜く、爪を噛む、過活動膀胱や夜尿症もある。薬なしで眠れない。
こんなヤツのパートナーになろうなんていうよく言えば面倒見がいい人、普通に言えば奇特な人を探す方が難しい…
母より先に自裁しておくしかないのだろうか。


父は阪神淡路大震災で犠牲になった方々を追悼する「阪神淡路大震災1.17のつどい」にボランティアとして参加していた。前日から会場近くのビジネスホテルに泊まり、朝4時頃から竹灯籠にろうそくを浮かべていく。

震災当時進学で実家を離れていた私は揺れの恐ろしさを体験していない。目の前の景色が、よく見知ったところがどんな風に崩れていたかも知らない。

生まれ育った家が瓦礫と化し、中からは祖父母の声がしていたという。祖父を救出してすぐに火が燃え移ってしまった。それでも救出のお手伝いをしようとしてくれた人に「離れて下さい」と言ったのは父だった。

しばらくは火を怖がった。
「1.17のつどい」でも、ろうそくを浮かべながら、灯した火があの時の光景と重なると言っていた。

父の本当の胸の内は結局聞けなかった。
大腿骨骨頭壊死の痛みを抱えながらも朝4時には会場でボランティアをしたことが、父にとっては祖母と向き合える貴重な時間だったのだろうと思う。

今年は私が行くよ。
ろうそくも名札も持ってるから。一緒に行こうね。


父が変な咳をし始めたのが、去年の今ごろ。
17,8年前に間質性肺炎にかかり、大きな基幹病院のICUに救急搬送された。鎮静剤で眠っていたから本人は記憶がなかったらしい。
当時私は関東で仕事をしていたので、慌てて帰省させてもらい、ICUの前で寝泊まりした。

奇跡的に一命はとりとめた。
その時に禁煙と禁酒(肝硬変やら肝炎も併発していたので)を言い渡されていたが、どちらも止められず。
(本人は隠れて喫煙し飲酒してたつもりらしい…)
健康診断の備考欄にも間質性肺炎の疑いあり、と書かれていたが、都合が悪いので私たちには見せなかった(そのわりにその辺に置いてあったので勝手に見た) 。 
本当にバレないと思っていたのだろうか?子どもじゃあるまいし…

去年の今ごろの咳も、はじめは季節の変わり目で風邪を引いたんじゃないかという程度のものだった。
その時点では、私は間質性肺炎の再発だとは思っていなかった。                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                   
「お父さん、○○(私の名前)と●●(妹の名前)を授けてくれてありがとう」

父が息を引き取った時、母がかけた言葉だ。

子どもの頃から家が大嫌いだった。両親も大嫌いだった。何でこの二人は結婚して、家庭を築こうと思ったんだろう。何で私を作ったんだろう。

「作ってくれとも産んでくれとも頼んでない。生産者責任で廃棄処分にしてくれた方がよっぽどマシだ」

高校生の頃、母にこう言ってむちゃくちゃ怒られた。
「両親がいない子どもも、帰る家がない子どももいる。
あんたは恵まれとるのになぜ感謝できないの?」と。
「形だけ揃ってたって機能していないんならないのと一緒や。むしろない方がマシや」
これは本心だった。家にいてもキモチやココロを削られるような思いをして、学校に行っても針のむしろ。
なぜ毎日の生活を送らなければいけないのか。

そんなに私のいのちなど大切ではないのだが。




先日高校時代の後輩から、私宛に荷物が届いた。
焼き菓子の詰め合わせらしいんだけど、誕生日でもないし、「何だろう?」と思いながら開けた。
私宛の手紙も同封されていたので、開けて読んだ。

後輩に送った喪中はがきを見て父が亡くなったことを知り、遅くなりましたが…とお供えを送ってきてくれたのだった。その気遣いが嬉しくありがたくて、涙が止まらなかった。

阪神淡路大震災の後、祖母の葬儀と納骨を済ませて進学先に戻る前に後輩に連絡を取った。家やご家族は大丈夫らしいが、水が出なくて困っているとのことだった。
運賃を考え、父母の方から後輩宅に水を送った。

その時のことを覚えていて、わざわざお供えを送ってくれたのだ。当時も今も、できることをしただけだと思っていたので本当にありがたく感じた。

よかったなあ、お父さん。

何度も書いているが、婚約寸前だった彼が統合失調症に罹患し、約2年後に飛び降り自殺した。
もう来年で20年になる。

まだ彼のことが好きだ、とか忘れられない、とか言うのとは少し違う気がするんだけど…
そばでずっと支えられなかったこと。これは私のキャパが狭くて、自分の時間をすべて彼の看病や面会に使い果たして私自身がうつ病になってしまったからだ。
この点は、私はまだ降ろしてはいけない重いカバンを運び続けてて。降ろしていいとすれば、私自身が私の気持ちを整理できる時かもしれないけど…
忘れることなど、ない。忘れていいことでは、ない。
私には私の人生を選ぶ権利はない。
「もう充分じゃないの?あなたはあなたの人生を歩んでいいのよ」と言われたことがあるが、大切な人の命を守れなかった、救えなかったのは殺したも同然のような気がする。

「自分が自分を好きでいてあげなくちゃ」「それもあなたの個性なんだから」とよく言われる。そしてこれほど違和感のある言葉はない。

自分が好きって何?
自分の性別に対する違和感も「個性」?
食べ物とお金のコントロールや部屋の掃除ができないのも、過活動膀胱で尿もれすることがあるのも「認めてあげなきゃ」?

いつも頭が混乱する。
こういう人間を好きになんてなれないよ。

新しい職場に移って約2ヶ月。
仕事にも慣れ、同じ部署のスタッフさんたちともまあまあやっていけていると思う。

ここでも言われるのが
「結婚してるよね?子どもさんは?」。
「いやー、結婚も経験してなくて、実家から通ってるんですよね」
「それやったら楽やね、お母さんに家事とか全部してもらえるんやろ?」
「はあ、まあ…」

確かにその通り。家事は母に丸投げ状態で、偉そうに言える状態ではない。
でも、「悪意のない健やかさ」を持つ人間と生活していくのは本当にしんどい。

30代の時、主治医から精神科への入院を勧められた。
とにかくゆっくり睡眠をとり、疲れを癒すためにということだった。父母と生活しているだけでしんどくてたまらなかった私は、その話に一も二もなく飛びついた。
帰宅して母親にその話をすると、「家におって安心して寝られへんってどういうこと?」と真顔で私に尋ねた。
理解どころか、想像することすらできないようだった。

退院が決まった時は大声で泣いた。私が帰るところはあそこしかないのだという絶望感しかなかった。
同じように摂食障害で入院していて仲良くしていた友人は私が退院してから2ヶ月後に退院し、半年ほどして結婚した。今はふたりの子どものお母さんだ。

なぜ周りだけ?なぜ私はこのままなん?
自分は失敗作なんだな…という思いが心の中で膨れていった。

「ひとりだけやったら、いずれは妹さんに面倒見てもらうことになるん?」
そんなつもりは全くない。そんな迷惑かけられない。
父の一周忌の後に自裁するしかないのだろうか…
そんなことを考えてるけど、踏み切れない。





約20年前に婚約寸前までいっていた彼が統合失調症に罹患して、投身自殺で亡くなった。
正直つらく、哀しく、自分の力不足を責め続けた日々。
その思いに嘘はない。

でも何とか人並みに生きていけそうな気がして嬉しかった自分、約100人に1人の割合で罹患する統合失調症に何で彼が罹患しなくちゃいけなかったのかが悔しく、恨めしくて「何でその100分の1が彼なの?」という怒り。

結局のところ、自分の「不運」を嘆いているだけなんじゃないだろうか…