順応性が高い。
周りを注意深く観察し、自分がどうふるまうかを素早く察知する能力が高いと言い換えられるだろう。
新しい集団に馴染むためには高ければ高いほどいいんだろうと思う。

当然長所にもなりうるし、短所にもなりうる。
周りの言動を観察しているはずが、周りが自分をどう見ているかを気にしてしまう。自分がどうふるまうか、そしてそれをいかに完璧に近づけるか。
この少しの違いが大きなズレとなり、自分の中の歯車がうまく噛み合わなくなってしまうことがある。

そこで休息を取れればまだ違うのだろうが…

可愛かずみさんが小学生の時に何度も転校を繰り返し、その度に順応性の高さを発揮してクラスメイトとうまくやってきたエピソードを読むたびに、鬱病や過換気症候群に罹患しているのに服薬しながら女優業を全うしようとされた頃のことに思いを巡らせてしまう。




私は暗いところが大嫌いな暗所恐怖症である。
ちなみに、狭いところは大丈夫。
尖ったものも大丈夫。
高いところも大丈夫。そう、約20年前に彼が飛び降り自殺するまでは。

厳密には高所恐怖症ではないと思う。
あべのハルカスや東京スカイツリーなど、展望フロアに行くとわくわくする方だ。そこまで高くなくても、通天閣でも東京タワーでも気が浮き立つ。

彼が飛び降り自殺を遂げたビルの該当フロアは、一週間ほど立ち入りができなくなっていた。そのフロアにある部屋の一室から身を投げたので、いろいろとやらなくてはいけないことがあったのだろうと思った。

しばらく経って再度訪ねてみると、フロアに立ち入ることができた。警備員の方に「このフロアから転落して亡くなった方がいたはずなのですが…」と聞いてみると、「ああ、あの部屋だよ」とやはりまだ入室禁止の部屋を教えてくれた。「知り合いかい?」と聞いてくれたので「ええ…」と答えると、「隣の部屋からでよかったら手を合わせるかい?」と言い、隣の部屋に入り、窓を少しだけ開けてくれた。
前方を見る。そして、左右を見る。最後に、下を覗く。
「そこのね、樹の根元に倒れてたらしいよ」と警備員さん。
よくやったな…その状況に全く似つかわしくない言葉が頭に浮かんだ。彼は高所恐怖症で、アミューズメントパークの絶叫マシーンには乗れたが、観覧車だけは絶対乗らなかった。それなのに…
その高さを、そこから見えただろう景色を頭に焼きつけて帰った。

それ以来、「その高さ」だけが怖くなった。高層階は大丈夫なのに、「その高さ」に匹敵する高さになると脂汗が浮かび、震えが止まらなくなった。

それは今でも治らない。

父が亡くなって、年が開けたら一周忌の法要がある。
もういないのだと頭ではわかっているつもりだけれど、約40年一緒に生活した習慣がふっと出ることがある。

風呂上がりに使用後のバスタオルをかけるところに、縦に三分の一の幅に折ってかけている。
ずっと噛んでいたガムが特売になっていたらメールしそうになる。これは1、2回メールを送ってしまい、宛先不明で戻ってきたのを見るまで気づいていなかった。
大腿骨骨頭壊死でかがみづらかった父のために、常日頃便座を上げていた。これは母も同じと見え、夜中に寝ぼけてトイレに行って腰をおろしたら、便座カバーが上がっていて便器に直接おしりが当たるかたちになりめちゃくちゃ驚いた。

こういうの、時間が経ったらなくなるんだろうか…
あと一週間で今年も終わり、新たな年になる。
いろんなところで「今年もお世話になりました。来年もよろしくお願いします。よいお年を」と挨拶して来る。同様にこちらにも同じ挨拶をいただく。
そしてふと思う。
どんな年が「よいお年?」

小学生の頃から希死念慮があった。
学校の勉強はできるけど、他にはなんにもできない子どもだった。
二日酔いで週に1度は休む父親、妹と比べて怒るばかりの母親。なぜ結婚したのか、なぜ子どもを作ろうと思ったのか理解できなかった。
周りの歓心を買うために嘘ばかりつき、余計に避けられて、馴染めなくなる一方だった。
爪を噛み、髪を抜き、親の財布からお金を盗んで食べてはいけないチョコレートを買って食べ、アトピーを悪化させるなど、愚かなことばかりのくりかえし。
自分がいていいのかいない方がいいのか、今に至るまで答えがわからない。

これをいったい何十年やってきたのか。

どんな年が「よいお年?」

世間は3連休ですがそんなの全く関係ないわが職場。

今日もお昼ご飯を食べ終え、暖かいココアを買いに行って休憩室に戻る。

缶を振り、プルトップに指をかけたまさにその時、年上の同僚がおもむろに口を開いた。

 

「前から言ってあげようと思ってたんだけどね」

 

…はっ?

 

「それさ、どれだけ砂糖入っているかわかる?白い砂糖だよ。添加物でごまかしまくりのカカオが入ってるの」

 

っていうか、この一缶を飲むのを楽しみに帰って来ていきなりそんなこと言われる筋合いないんですけど。めっちゃ鬱陶しい。

 

「まぁ、大さじ3、4杯くらいの砂糖が入っているんじゃないですか」

適当に答えても、話は終わらない。

別の同僚が「そんな言い方すると飲みにくいやん」ととりなしてくれたが、聞く耳持たずのご様子。

 

「あなた、アトピーでしょ。食品添加物のこととか、勉強してる?私は息子がアトピーだったから食品添加物から居住環境のことまでものすごく勉強したの。そうだ、今度本持ってきてあげるから勉強したらいいよ」

 

ちょっと待て。何でそんなに言われなきゃいかんのだ。

私がアトピーであんたに何の迷惑をかけたよ?

そんであんたは何様?

私が好きで飲むのを批判するのは何のため?

あんたが息子さんのために一生懸命勉強してしっかり育てたんならそれでいいやん。

こっちが頼んだのならともかく、自分が思う「正しいこと」を押しつけてんじゃねえよ。

 

この手の「悪気がない」「親切な」人間ほど迷惑な存在はいない。

 

 

 

 

何で食べ物ばっかり欲しくなるんだろう。

何で爪を噛んじゃうんだろう。

何で髪を抜いてしまうのだろう。

何で...何で...

 

何が足りないんだろう。

生きてみようと思うこともある。

でも、これ以上生きていきたくないという地点に戻る。

 

しんどいなぁ。

 

生きるより死ぬ方が難しいなと思う。
「たった1度しかない人生なんだから、悔いのないようにいきていかなくちゃ!」という言葉はよく聞くし、よく言われる。
悔いのないように生きていくためにはいろいろと必要になるものがあるだろう。お金かもしれない。家族や友人かもしれない。価値は人それぞれだ。
でも、どれだけのお金を持っていようが家族や友人に恵まれようが、死は確実に、平等に訪れる。
母は昔から「苦しまずにコロッと逝く方が周りに迷惑がかからんでええ」と言っていたが、父が入院して40日ほどで亡くなってから「自分が亡くなった後のことを考えて動いとかな、残った方は大変や」と言うようになった。書類のありかや何やかや、父もまさか自分が自宅に戻れずに亡くなるとは思っていなかったのだろう、何一つ整理されておらず、本当に母はあちこち走り回っていた。
では、私は…消えたい願望はやはりあるし、どう生きようなんて考えたくもないし…
どう死のうか。
また1日が始まる。

私、何でずるずるずるずる生きているんだろう。

同年代の大半は結婚して、子どもがいる。
強烈な嫉妬、妬み。
確かに私の外見は醜い。心もきれいではない。
私、この人よりは性格マシと思うけど…と思う人でも、パートナーを見つけている。羨ましく腹立たしい。

努力すれば?と言われるけど…
何をどうすれば努力したことになるの?
過食症、抜毛症、自傷、爪かみ…
努力しても治らない。
可愛かずみさんは生前、2枚のアルバムをリリースされました。
そのうち、1985年にリリースされた2枚めのアルバム「メディテーション」のカセットテープ版を入手しました。
我が家に唯一残るカセットデッキに働いてもらい、再生した音はデジタル化された音源に慣れてしまった耳には何とも言えない懐かしさがありました。しかもカセットデッキのオートリバース機能(死語?恐らく若者にはわからないでしょうね…)が壊れているので、いちいちテープを取り出して裏返して…でもそんな作業が煩わしくなくなる懐かしさと、ちょっとこもった感じで流れてくるかずみさんの歌声をのんびり聴いていました。

先日、5歳の甥っ子がこども園の帰りに寄ってくれた。
寒い日で、「ほら、じぃじの手袋!」とはめていた手袋を見せてくれた。

昨年、妹は車に母を乗せて父の見舞いに行ってくれ、時間が来たらひとまず甥っ子をこども園に迎えに行くという生活を送っていた。

父は人工呼吸器を装着しており、点滴からしか栄養が摂れずに痩せてしまって顔の感じが変わってしまっていた。それでも甥っ子はこども園が終わってから「ママ、じぃじを応援に行く!」と病室を訪ねてくれることがあった。怖がりもせず、必ず父の手を握り、じっと父の顔を見ていてくれた。
ある日、看護師さんが口腔ケアのために人工呼吸器のマスクを取って鼻からのカニューレから酸素を吸う時間があった。その時に父が妹に「いっつも寒い中を来てくれて(甥っ子の)手が冷たいから、手袋を買ってやって」と言ったので、私はその場で「退院するまでとりあえず立て替えとくわ」と妹にお金を渡した。

妹はファッションにこだわりがあり、自分の息子に着せるものも吟味して選んでいた。ひとつのアイテムを購入するにもじっくり時間をかけるタイプだ。
でも、翌日甥っ子は早速手袋をはめて来ていた。「じぃじ、手袋買ってくれてありがとう!」とお礼を言い、父も嬉しそうにしていた。
父の足元でその様子を見ていた私のところに妹が来て、ぽつんと言った。
「いつどうなるかわからへんから、意識があって見てわかるうちに見せときたかった…」
「そやな。ありがとう」鼻の奥がツーンとし、こぼれてくる涙が父から見えないよう上を向いて答えた。

クリスマスにはサンタの帽子をかぶり、お正月にはお手製の卵パックを利用した獅子舞を持って父のところに行ってくれた甥っ子。この子がいなければ、父の気力ももっと早くついえていたかもしれない。
本当にありがとう。