昨日は仕事が休みだったので、母とお昼過ぎに祖母の顔を見に行くことにした。
妹も祖母のことが大好きで、「私も行きたい」と母に伝えたようだった。
妹の息子(私の甥っ子)がインフルエンザにかかっていて、その看病で妹がろくに眠れていないことを知っていた。2日前から妹も38℃の熱を出していたことも。
そんな妹に車を運転してもらうのは申し訳ないと思った。せめて自分の熱だけでも下がるように身体を休めて欲しかった。
でも母は、「○○(妹の名前)が連れて行ったるって言ってるから」とすっかり妹待ち状態。
私一人でバスや電車を乗り継いで行こうかとも思ったけど、感じが悪いかと思い、結局妹を待った。
妹に公共交通機関を利用させるのも、不特定多数の人と乗り合わせるのだからそれもどうかな?とは思う。
でも、母も私も運転免許を持っていないのだから車中で休ませてやれるわけでもない。「大丈夫」とは言ってくれるけど、もうちょい妹の体調を考えてあげて欲しかったなあと思った。
また1年、年をとった。
目覚めたら頭の周りにかっぱえびせんが散乱し、さらにその後に食べるつもりで持って来ていたのであろうインスタント麺の袋が転がっていた。

なんて目覚めだ。
こんな朝を何回迎えなきゃいけないんだろう。
絶望的な気分になる。
こんな状態が20年も続いている。

生きるという刑罰なのだろうな…


定期をなくして、引き取りに行くまで実費を払って通勤していた。往復で1,500円もかからなかったけど、それなりの出費になった。
この1ヶ月は倹約しないとな…と思った。

それなのに…

いつも以上に浪費している。
まずは行き帰りに食べてしまうコンビニスイーツ。
可愛かずみさんの記事が数ページ掲載されている当時ものの雑誌の購入(1冊数千円になることも…)。
有線のノイズキャンセリング機能がついているイヤフォンが壊れもせずに動いているのに、Bluetoothの無線のイヤフォンを購入。
手元にお金がないのに、どんどん買ってしまう。
届いた商品はそれなりに欲しかったものだから、開封するときはやはり嬉しい。
でもクレジットカード用の口座に入れないといけない金額を見ると、ふと現実にもどり愕然とする。
浪費と過食症が合わさって出てくるこの状態はヤバい…

どうすればいいんだろう。
どうすればいいんだろう。

ただただ涙を流すだけの日々。


同じ職場のリーダーには祖母の状況を報告している。
同僚のうち、いちばん組んで仕事をする機会が多い先輩に迷惑をかけてしまうことになるので、一通り話をしておいた。
「在宅でそれだけ看てもらえたら幸せやな」
と言って下さった。ありがたいと思った。

仕事が終わり、その先輩から「明日は出勤?」と聞かれた。シフト制なので、カレンダー通りに出勤とは限らないからだ。
「はい、出勤です」と答えたら、

「そやな、ばあさん死なんかったら出勤やな」

と笑いながら言われた。

腹が立ったのは一瞬で、頭の中が真っ白になり、言われた言葉が意味をなさなかった。反論も、怒ることもできなかった。

…コイツ人としてサイテーだ…

しばらくたってから、その思いだけが浮かんできた。
ありえない。
もうじき誕生日が来る。
また1年、50代に近づいていく。

小学生の頃には自分の人生の終わりは自殺にしようと思っていた。両親がなぜ結婚して私を作ったのか理解できなかった。家族も結婚生活も無駄で馬鹿馬鹿しいものだとしか思えず、少なくとも私が「帰る」場だとは感じられなかった。
授業中も爪を噛んだり髪を抜いたりと言動が変だったのでいじめられ、「出る杭」にならなくてはと思っていたが、どうすればいいのかわからなかった。
諸悪の根元はコイツだと、父に向かって木製バットを振り上げ、母と妹が止めに来たこともあった。

進学で家を離れてしばらくは落ち着いていたのだろうか?
尾崎豊さんが亡くなり、アイルトン・セナ選手が亡くなり…そのたびにこの人たちの命と私の命を取り換えてあげたいと真剣に願っていた。

そして私の自殺志願癖を否定せずにつき合ってくれた彼。初めて自分には味方がいるのだと思えた。一緒に「いてくれる」人、が一緒に「いる」人になった。

なのに。
どうして精神疾患にかかったのだ。
罹患率は100人に1人だけど、なぜ私の彼が罹患しないといけなかったのだ?
私が兆候を見逃したのか?

この人だけは支えていく。
そう決めたのに、自分の限界がわからなくて自分もうつ病に罹患した。

そして彼は、ビルから投身自殺した。

後を追わなきゃ。
そう思ったのに、なぜ後を追えないのだろう。
ぐだぐだと生を断ち切れず20年が経過した。
不眠・うつ病・自傷行為・摂食障害…
治療を続けていること自体が、生きようとしていることじゃないか…

ばかだなあ。



食欲不振で衰えてきた母方の祖母。
一昨日仕事の帰りに見に行った時はまだ目も開いていたし、少しは食べていたし、私のことを認識してくれていた。

昨日母が見に行ったら、左足の浮腫みがひどく、目も開けられない状態でゼリーを2匙食べただけだという。
ポータブルトイレに移る力もなくなっているらしい。

100年生きてきたんだからもう充分、頑張らなくていいよという思いと、もう少し頑張ってという思いが頭の中で交錯する。

祖母がいなくなってしまうなんて。
いつか来る日だけど…いやだよ。
そんなんいやや、おばあちゃん。
職場までバスとJR、私鉄電車を乗り継いで行く。
行きのJRと私鉄の乗り換えの時と、帰りの私鉄とJRの乗り換え、JRとバスの乗り換えの時に必ずと言っていいほどコンビニでスイーツやら飲み物を買っている。
最近では店員さんに「今日賞味期限のシュークリームありますよ。30円引きで買われます?」と聞かれる始末。
そりゃ普通お昼ご飯になりそうなモノを買うのならまだしも、スイーツと缶コーヒーとかだもんな…
しかも店出てすぐ立ち食いもしくは歩き食い。
そりゃ覚えられるよな…
「ありのままの」自分ってどんな状態なんだろう?
いいところも悪いところも含めて「今のこの状態でいいのだ」と思うこと?

物心ついてから「いいところ」は放っておかれ、「悪いところ」は直すようにと叩き込まれてきた。
現状に満足してしまうと、そこで止まってしまって「向上心」を持たなくなるから、と言われてきた。
だから止まることは許されず、どこをどう走ればいいのかわからないままとにかく走るよりなかった。
「ありのままの」自分ではいけないのだと、それだけは理解していた。

今さら「ありのままの」自分を認めるようにと言われても、サボっているような罪悪感しか感じられない。
精神科に通って約20年。
「自分をありのまま受け入れる」ことができないのが私の課題らしい。

例えば…自分の性別がよくわからないこと。
周りから認めて欲しい、かまって欲しいという欲求が強いこと。
精神的に弱く、すぐに身体症状が出ること。

「それら全てがあなたの『個性』なのだから」って言われても…
正直、よくわからない。ピンと来ない。
「これでいいんだ」なんて思えないし。

今日は日曜日、そして節分。
でも私は仕事で、帰宅したら甥っ子が手紙を書いて部屋に置いてくれていた。

「○○ちゃん(私の呼び名)へ ▲▲(甥っ子の名前)はまめまきをしたいです」


さらに、昨年亡くなった父(甥っ子にとってはじぃじ)宛の手紙も書いてあった。

「□□(じぃじの名前)へ あいたいよ ▲▲より ▲▲だよ」

常日頃私たちが「じぃじはお月様になったんだよ」と言っているからか、月の絵が添えられていた。


そうだね。あいたいね。