昨日は祖母の101歳の誕生日だった。
叔父宅で在宅介護をしてもらっている。
先月始め、食べ物を口にしなくなり、手首で脈がとれなくなり、足のむくみがひどくなり…でかかりつけ医に「会わせておきたい人がいれば連絡しておいてください」と言われていた。行ける日に行って、会える時に会っておこうと思った。
しかし、周囲の誰もが想像しなかった驚異的な回復力を見せてくれた。少しずつ食べるようになり、むくみが消えた。その分痩せてしまっているけれど…
でも私の顔を見て名前を呼んでくれた。
一進一退で少しずつ弱っていくことは避けられない。
「あの時顔を出しておけばよかった」ということにはしたくないなと思った。
つい1年ほど前まで、そのひとは「20数年前に亡くなった女優さん」だった。
主役というより、脇役として存在感があるイメージだった(演じておられる姿を見たことがなかったので…)
儚げで、危うげで、羞じらいがあって…
でも笑顔になると、目が三日月型になって八重歯が覗く、かわいくてあどけない表情になる…
可愛かずみさん。
気になっていた彼女のことを夢中で調べはじめたのは昨年の4月頃。当然のことながら知らないことばかりだった。ファンの方々が運営されているサイトに何度もお邪魔して、生前親しくされていた芸能人のブログを読みあさっていくうちに気持ちがぐんぐん引き寄せられるのを感じた。「没後ファン」を勝手に名乗り、当時の掲載雑誌などを買いあさっている。
もう3月も半ばだ。2ヶ月しないうちに、かずみさんが天に還ってしまったあの日が来る。
今年も1度でいいからお墓参りに行けたらな…
「後悔しないように」
「悔いが残らないように」…
「『~しておけばよかった』と思うくらいなら、一歩踏み出してみなよ」…
確かにその通りなのだと思う。いくつか道があったとしても、選べるのはひとつだけ。他の道を選択していたらどうなってたんだろう、と思ってもそれを選びなおすことはできない。
今の私の後悔はただひとつ。
なぜ、大切なひとを飛び降り自殺で失った時に後を追わなかったのか。
しばらくして現場に行ってみたら、フロアに入れないようになっていた。
オーバードーズできるほどのクスリもなかった。
剃刀で手首を切ろうと思ったけど、怖じ気づいてカッターでしか切れなかった。
結局、ホントに死ぬ気あんのかよオマエ、だ。
昨日で東日本大震災から8年。
亡くなられた方々のご冥福を心よりお祈り致します。
そして、被害に合われたたくさんの方たちが少しでも心穏やかに生活できるよう願っています。
24年前の阪神・淡路大震災で私は祖母を亡くした。
とはいえ、当時の私は進学で実家を離れており、震度7の揺れは体感していない。
実家から車で祖父母宅へ向かった両親が感じたガスの臭いも煙の匂いも感じていない。
家が崩れて瓦礫と化し、普段なら絶対見えないようなところまで見えた衝撃は後から受けた。
講義にも出ずに呆然と地震の報道を見ていた私のもとに祖母が助からなかった…という電話がかかってきたのは14時を回っていた。
帰ろうにも、大阪辺りから西へ向かう交通手段は分断されていた。
何とか祖母の死亡診断書と埋葬許可証が揃い、帰宅することとなった。広島空港まで遠回りしてのフライトで、新幹線で姫路まで行き、あとは在来線で自宅の最寄り駅まで帰った。
祖母の「遺体」は、ティッシュペーパーの箱の半分にも満たない「遺骨」だった…
大学に戻る前日、祖父母宅の焼け跡へ行き、焼け野原の中で這いつくばるようにして祖母の遺骨のかけらを探した。あちこち延焼したので、普段なら見えないものが見えた。あの風景は忘れない。
私は震災の犠牲者の「遺族」だけど「被災者」ではないという思いはずっとついてまわった。
「1.17のつどい」で「お話を聞かせて下さい」と言われる度、「被災した方のお話を聞いてあげて下さい」とその場を離れることの繰り返し。
昨日、ふと思った。私のような立場の方たちが実はたくさんいらっしゃるかもしれない…当事者ではないからと、遠慮してしまい自らの体験を口にできない方たちが…
そういう方たちの体験を聞いたり読んだりすることで、震災の捉え方が違ってくるんじゃないか、って。
来年は阪神・淡路大震災から25年の節目になる。
こういう立場の人間もいるんだよって、発信できればいいなと思う。
明日で東日本大震災から8年。
改めて犠牲になられた方々のご冥福をお祈り致します。
阪神・淡路大震災からは16年が経過していた。
テレビでは、衝撃的な映像が毎日流れていた。
しばらくすると、テレビが大好きな父が被災地の映像を避けるようになった。単にチャンネルを変えるだけの時もあれば、消してしまう日もあった。
そして父の髪が抜け始めた。毎日10円玉ハゲができるくらいの勢いでごそっと抜けた。
皮膚科にも行ったし、頭皮に振りかけたら髪の薄さがカバーされるものも使ってみたが追いつかなかった。
頭髪の次に眉毛も睫毛も抜けた。
会社からワッチ帽のようなものをかぶる許可をもらい、通勤していた。
父の胸にあった阪神・淡路大震災の時の大きな心の傷からまた血が噴き出したのだろう。
私が想像していた以上の大きなトラウマを抱えていたのだな...
全てがひたすらだるく、しんどい。
過活動膀胱と夜尿症がぶり返してきた。
過食で寝落ちした翌朝、頭のまわりに散らかっている食べ物を見てうんざり...
ひとり暮らしならしばらく放置してしまうかもしれない。
お風呂に入るのも、身体や頭を洗うのも面倒くさい。
仕事をしていなければしばらく風呂に入らないかもしれない。
自分のことって、ホント面倒くさい…
相変わらずネットショッピングやコンビニスイーツなどで散財する日々。
今日はこの金額で止めておこう、今日は買わないでおこう…思えば思うほど湯水のようにお金を使ってしまっている。
先日、母が箱入りのスティックコーヒーを買ってきた。
「お昼休みに毎日コーヒー買うとるんやろ?これやったらお湯さえあれば飲めるし、毎日コーヒー買うより安く上がるで。別に押しつけではないから…」
確かに毎日缶コーヒー(90円)を買っている。1ヶ月トータルしたら2,000円ほどになるし、1年だと24,000円になる。そうして家計を切りつめて、母は生活してきたのだろう。そしてそれは、妹にも当たり前のこととして受け継がれている。
でも。
私には押しつけだとしか思えなかった。自分が金銭管理ができないことも意志が弱いこともわかっているけど、
とにかく「自分の面倒を見ることが面倒くさい」のだ。
何か嫌みったらしく思えて、頭の中では逆ギレしていた。
過食にも買いたい衝動にもお金はかかる…
本当に金銭管理ができず、こうして何回も書いているのに一向に改善しない。
特に可愛かずみさんが掲載されている80年代の雑誌などをバンバン買ってしまう。
さすがに郵便物が増えるのを見かねた母が、私の部屋をさわったらしい。ある日帰宅すると、10冊以上になったかずみさんの切り抜きを入れたクリアファイルがベッドの上に置かれていた。
「これ何?自殺した女優さんの記事集めて何になるん?こんなんにお金使ってどないするん?考えて使わんとお金は湧いてもこんし降ってもこんのやで!」
そうだろうな。フツーの人が見たら、そうだろうな。
今、買うという行為で何かが抑えられている。
そして、女優として生きていくことを貫こうとしたかずみさんの姿勢から感じるものもある。
でもそれは、母はもちろん他の人にはわからないことだと思う。 ただただ、浪費しているだけにしかみえないまろうから…
今の職場に入った時、いろいろと仕事を教えて下さった方がいた。
根本的に悪い人ではないと思うのだけど、感情が激してくると押さえられない人だった。スタッフだけでなく、患者様にも暴言を吐くのだ。
「何でそんなに仕事の覚えが悪いんや!病気か障害の検査でも受けた方がええんと違うんか!」
「あんたらより私の方がしっかり働いてるのに給料が一緒なんて理不尽や」
麻痺して動かしにくい腕をゆっくり動かしている患者様の手を持ち、「痛い」と言う患者様に
「ちゃんとリハビリせえへんからや!自業自得や」
ゴミ箱に手が届かず、コールしてゴミを捨ててもらおうとした患者様には
「今忙しいねん!○○さんだけのことにかまってられへんねん!ゴミ捨てるとか、しょうもないことでいちいちコール鳴らさんといて!」
この患者様はしばらくの間、「コール鳴らしたら怒られるから…」と便が出ていても我慢しておられた。
いつ何時、誰をターゲットにして何を言うかわからない、人のあら探しをしては怒る人なのだ。
優しい同僚がつけ込まれて、メンタルのバランスを崩すまでに至った。
祖母の調子が悪くなった時、もしかしたらご迷惑をかけるかもしれないのでお話をしておいた。
帰り際「明日出勤?」と聞かれ、「はい、出ます」と答えた私に「そやな、ばあさん死なんかったら来るよな」と言ったのもこの人だ。
このような言動をさすがに見かねた上司が上にかけあってくれて、他部署に異動させることにしてくれた。
なぜかそれは私がチクったせいになっていて(笑)とにかく朝から帰りまで、挨拶しようが仕事の話をしようがガチでシカト。
60歳前で、その幼稚な行動は何だろうとある意味感心する。頭が悪い人ではないのに…
とはいえ気分のいいものではなかった。
そこまでするんや…
