平成から令和へと元号が変わった。
思えば、平成の始まりとともに始まった高校生活。
教師から名前でなく「アトピー」と呼び続けられ、廊下を歩くと同学年の生徒はもちろんのこと、関係ないはずの中学部の生徒からもすれ違うたびに「きもっ!」と息を止められていた。私がいるから周りの人間が不快になるのだという思いはこの時確固としたものになった。
阪神・淡路大震災で祖母を失う。
結婚するはずだった彼が統合失調症に罹患し、仕事以外の時間を彼を支えることのみに費やして私も鬱病に罹患した。
2年後、彼を飛び降り自殺で亡くす。後を追えないまま20年が経過する。
妹の結婚を機に摂食障害にかかる。
仕事先で過呼吸を起こし、1ヶ月精神科に入院。
自分を罰するにはどうすればいいのかばかり考えていた。
へなちょこなので剃刀な どの切れ味が鋭いものではなく、カッターナイフで手を切っていた。
…何と無駄な31年だったのだろう。
そして昭和からの爪噛み・抜毛症・夜尿症も残ったままだ。
早く消えたい。
14年前の4月25日、福知山線脱線事故が発生しました。
亡くなられた方々のご冥福を心からお祈りするとともに、被害に遭われた方々が少しでも穏やかな生活を送れる日が来るよう願っています。
実際にあの電車に乗っていて被害に遭われた方々だけでなく、そのご家族、救助に当たった現場近くの企業の方々などが心に大きな傷を負い、PTSDが問題になったことを記憶しています。
自分だけが助かったことに罪悪感を抱いたり、自分が代わりに被害に遭えばよかったと思う方々が多かったそうです。
大災害の後にもこういった問題が取り上げられますね...
事故の数か月後、JR神戸線・東西線を乗り継いで北新地駅に行く用がありました。帰りは福知山線に乗り、尼崎駅で神戸線に乗り換えることにしました。
寝過ごして、気づいたら福知山線に入っていました。
尼崎に戻る電車に乗り換え、先頭車両で現場付近を見ていました。カーブの角度が本当に急でした。本当に怖かった。
ここへスピードを出したまま突っ込んでいった車輌…何が起きたのかわからないまま亡くなられた方が多かったのではないかと思い、涙が出ました。
不謹慎かもしれませんが。
「加害者」となった運転士のご遺族はどのように暮らしてこられたのかと毎年思います。ご自分の息子さんもある意味JR西日本の日勤教育の被害者だと思いますが、絶対に息子さんのことは他言できず、悲しむ姿も他人には見せられない…
何とか生活されていることを心から願います。
最後にもう一度、亡くなられた方々のご冥福をお祈り致します。
