かずみさんのお誕生月もあるし、やっぱり弾けるような笑顔を見せてくれているかずみさんの表情が描ければ…と思いながら鉛筆を動かしていました。
9月に入り、まだ暑い日が続いていますが、セミの声や少しずつ日が短くなっているのを感じます。
季節が秋へ移り変わる時期になったら挑戦しようと思っていたグラビアです。感傷的というより気だるい感じが出したかったんですけどね…
先日、ショートカットにノーメイク、Tシャツにデニム、スニーカーにリュックという格好で女子トイレから出ようとしたら、3人連れのおば様方に変質者(つまり男性)と間違えられ、通報ボタンを押された。
今回が初めてではないし、駆けつけてくれた警備員さんだかフロア責任者さんだかがきちんと対応して下さったので、事なきを得た。もっとも、
そっちがちゃんとしたかっこうしてないからでしょ!
という捨てぜりふをいただいたが。
その話を先日母にしたところ、私がネタでしゃべっているみたいにしか聞いていないことが判明した。
「あんた昔からそういう話をしてるけど、普通に考えたらそんな通報する人なんかおらへんで」
いやいや、目の前のあなたの娘が通報されたっちゅうの。しかも何度も。ほなあの3人組は何者よ?
もしかして…
幼稚園の時、祖母が買ってきたフリルのワンピースで「買ってくれたものはちゃんと着てますよ」アピールをしに出かけた時に、若い兄ちゃんに電車の連結部分に連れて行かれて股間のモノを触らせられたこと。
いとこのお兄ちゃんに性的悪戯をされたこと。
全部ちゃんと聞いてもらえてなかったんか…
父方で唯一残ったおばの誕生日。
毎年、メールの文面に頭を悩ませる。
父方の祖母に「理想通りの女性に育てた」と言わしめた人である。父より偏差値の高い大学に進学し、語学やタイプライターなどを習って社長秘書として働いていた。
祖母が生前縁談があったのだが、祖母が「生活に困って娘を身売りしていた地方には行かせない」と猛烈に反対し(時代錯誤も甚だしい)独身で祖父母と同居していた。
祖母はおばのことが本当に大切で仕方なかったのだと思う。私はまだ幼稚園の年長の頃から、「おじいちゃんやおばあちゃんに何かあったら○○ちゃん(おばの呼び名)の面倒を見たってな」「あんたがうちのお墓を守っていくんやで」とずっと言われ続けて、よくわからないなりに肯定の返事をせざるをえなかった。
また、おばが出かけて祖母とふたりきりになると、「○○ちゃんには内緒やで」とわたしの両親の悪口や不満な点を何時間も話し続けるのだった。
わたしにはものすごいストレスだったが、おばは絶対そんな場面を知らないわけで、「いい母親だ」とずっと言っていたし、疑っていなかった。
そして1995年1月17日。
阪神・淡路大震災で祖母は亡くなった。
父とおばが育った家も全焼した。
何かの折に、おばは母にこう言った。
「お義姉さん、お母さんが生きとる間に何かしてくれた?お母さんがかわいそうや!」
ふざけんな。
てめえの知らんところで何やってたか、何言ってたかも知らんくせに。
祖母の1周忌を終えるのを待っていたかのように、祖母が生きていた頃から不倫関係にあった男性と結婚して今は機嫌よく暮らしている。
別にめでたくもないおたおめメールだが、送らなかったら怒りの電話が母にかかってくるのでとりあえず送っている。
ややこしいわ…
「確かにこっちも悪いけど、そっちがちゃんとしたかっこうしてないからでしょ!」
久々に女性用トイレから出てきたところを男性と間違えられ、変質者だの痴漢だの言われた挙げ句通報ボタンを押された。その時の私は半袖Tシャツとデニムにスニーカー。リュックを背負い髪はショート、ノーメイク。身長は166cm。
間違えられて怪訝な顔をされることも、ひそひそ話をされることも慣れてはいる。通報ボタンを押されたのは久しぶりだった。
通報を受けて駆けつけた警備員さんかフロア責任者の方に相手側が「変質者の分際で…」と説明をしている。
こちらは「こんななりをしているけれど一応女性です」と言い、保険証を確認してもらった。
「完全に声が女性ですね。思い込みや勘違いは誰にでもあることなので…」と言って下さったので、「あ、もういいです。お手数をおかけしてしまって申し訳ありませんでした」とその場から離れようとした時に冒頭の言葉が飛んできた。
そっちがちゃんとしたかっこうしてないからでしょ!
何をどうすれば「ちゃんとしたかっこう」になるの?
メイクすればいいのか?小ぶりのカバンでも持てばいいのか?デニムがだめなのか?
男性になりたいわけではない。でも、持つものや着るものは男性ものが好き。LGBTの当事者ではない。
何者でもない中途半端な「いきもの」の私…
父の誕生日から3日が過ぎ、今日は母の誕生日。
年女なので満72歳になった。
何もしてないけど…
1995年の阪神・淡路大震災で亡くなった父方の祖母は誕生日がくれば72歳になる年に71歳で亡くなった。
当時大学生だった私は、学部の先生方や事務の方が「71歳で亡くなられたの…早いなあ、若いなあ…」と言って下さったのを聞いてもいまいちピンと来なかった。
自分が年をとったからかもしれないけれど…
あの時、祖母は今の母の年齢くらいで亡くなったのかと思うとやはり早いし若いなと感じる。
したいこともまだあっただろう。
予想より早く(?)長男(私の父)がそっちに行ってるから、雑談したり口喧嘩したりしながら過ごしてね。
甥っ子が来年小学生になる。
最近のランドセルはいろいろな素材や形、色があって、入学する前の年から予約することが多いらしい。
私が小学生の頃は、男の子は黒で女の子は赤しかなかった気がするので、ランドセルを選ぶというだけで一大イベントやなぁと感じる。
そして、ランドセルは祖父母が孫に買ってあげるものになりつつあるらしい。
我が家も例外ではなく、「じぃじに買ってもらうんやで」と甥っ子に言い聞かせていて、じぃじも何だか嬉しそうにしていた。
父は父なりに孫のことがかわいいようだったが、例えば「孫が小学校に入るまで」という目標を作って体調管理をするということができない人だった。
結局、昨年始めに亡くなってしまった。
5歳だった甥っ子に「じぃじの死」を説明するのは難しかった。「お空に行ってしまったんだよ」と言う大人たちに、甥っ子は「じぃじはお月様になったんだね」と答えた。
そして、父が遺していたお金の中から注文していたランドセルが届いた。
まだ甥っ子には話していないけれど、「じぃじが買ってくれたんやで」と言ったら何と言うのだろう。
今日は亡き父の誕生日。
主役はあの世に行ってしまっているから、お祝いはしないけれど…
父と母は同じ年の8月生まれで、誕生日も3日しか違わない。父が1歳年上の日が3日だけあり、追いつくというパターン。
でももう、父が母より年上の日は来ない。
3日後、母だけがまた1歳年を取るのだ。
そっちで生んでくれたおふくろ(私の祖母)にお礼を言わなあかんで。
今日は台風10号の影響で電車が止まるのがわかっていたので、影響をほとんど受けないルートで職場への行き来ができる叔父宅に泊めてもらえるようお願いしていた。
行ってみると、「ここを好きに使え」と亡き祖母の部屋を空けてくれていた。
白寿のお祝いで国や県、市からいただいた賞状や記念品がそのまま置いてある。
そして、50歳台で田舎からこちらへ出てきた時に持ってきた柱時計も。
子どもの頃から「おばあちゃんの部屋」には柱時計がかけてあった。「大きな古時計」ではないけれど、常に祖母と一緒に「在った」ものだ。
祖母にとっては、もっとたくさんの歳月をともにしてきたもの。自分のいる家、自分の部屋の目印になるかもしれないと、動かない今も壁にかけられている。
今、私は何とも言えない暖かさにくるまれている。
早いけどこのまま寝よう。




