きみがそっちに行ってから20年。
私は、いろんな思いを抱えてズルズル20年生きてきてしまった。
整理できないことがたくさんあるんだ。
きみがそっちに行く前の7年の交際期間。
いろんな話をしたよね。
心神喪失や心神耗弱と刑法・刑事訴訟法のあり方とか、
皇室のあり方とか…
「そういう話をすると、大抵の人は感心して聞いているだけなんだ。『何で?』『それ何かおかしいよ』って返してくる人間に初めて会った」って言ってたね。
きみは喘息、私はアトピー性皮膚炎とアレルギーを持っていたから、アレルゲンのことをこと細かく説明しなくてもやっていけた。
死ぬなら自殺だって決めていることも一緒だった。
「命を大切にしないとダメだ!」って言わない人と初めて出会ったんだ。不思議な暖かさを感じることができた。お互いに後を追わない約束もしたね。
きみは「おれが自殺する日にちは決めてある。両親のどちらかの誕生日だ。両親へのささやかな復讐なんだ」と言っていたね。
きみが統合失調症に罹患した時の衝撃は大きかった。
100人に1人が罹患する病気だけど…何できみが!っていう怒りが強かった。
私が支える。私が守る。本心からそう思った。
でも私のキャパシティでは何もしてあげられなかった。
私まで精神科に通うことになってしまった。
鬱病で休職して、主治医からきみと距離を置くように言われた私は電話番号を変え、引っ越しをした。
3ヶ月の休職期間が終わっても、私の鬱病は一向によくならず全く仕事ができなかった。職場にいるのが辛かった。
ある朝。
きみと共通の友人から電話が入った。
「◯◯くんが事故で亡くなった」
事故?そんなわけない…
私の引っ越し先の住所を知らないきみからの遺書が実家に届いた。すぐに送ってもらって、封を開ける。
「ごめん。先に逝くよ」
そんな文から始まった遺書。身体の震えが止まらなくなったけど、何度も何度も読み返した。
なぜ私への恨み言がひとこともないのか。なぜ私への感謝を綴っているのか。
恐らく共通の知り合いがかけてくれたであろう電話にも一切出ずに、壁にもたれてきみの遺書を暗記できるくらい読み返した。
きみのお父様の部下にあたる人と交際していた友人が飛び降り自殺だったこと、お通夜や告別式の日取りを教えてくれた。
どう考えても、特にご両親のことを考えたらお通夜や告別式に行けるわけがなかった。大好きだったタバコを供えてもらうよう知り合いに託し、現場のビルを遠くから眺めた。
高所恐怖症で観覧車も嫌がってたのにね。
後ろから落ちたからだろう。顔はきれいだったよ、と皆が教えてくれた。
人は亡くなった人の姿は長らく覚えているけど、声は比較的早くに忘れていくって聞いたことがある。
私はきみの声を20年、忘れることなく生きている。
まだ私は生きてしまうのだろうか。
またこの日を迎えてしまうのだろうか。
わからない…