1995年1月17日。
電話の音で目が覚めた。時計を見ると、朝の6時。
母の親友からで、「今神戸で大きな地震があった。家は大丈夫やけど、お父さんの実家と連絡が取られへんからお父さんもお母さんもそっちに向かってるから」という内容だった。
神戸で地震?
とにかくテレビをつけた。
これが神戸…
冬休みに帰省したところだ。それから半月ほどしか経っていないのに…
慣れ親しんだ建物が崩れ、燃えている。
こちらからの電話はもちろん繋がらない。
食べ物も飲み物も喉を通らなかった。
14時過ぎにようやく母から電話があった。
「落ち着いて聞いてな。おばあちゃん、あかんかってん…家に火がついてもて…」
正月に会ったのに。昨日電話で話したのに。
おばあちゃん…
夕方か、夜か…
修学旅行に行っている妹から電話があった。
家にも覚えている親戚にも電話が繋がらない。何とかお姉ちゃんの電話番号を思い出したのだと、既に半泣きの状態だった。祖母の死は私が伝えた。
妹は高校の修学旅行の思い出の中に震災のこと、祖母のことがついて回ってしまうんだなあ…とかわいそうになった。
まだ遺体を連れて帰ってこれていない。
お葬式の準備ができるまでは、帰ってこなくていい。
母はそう話した。
私は講義に出て、教授に理由を話して急遽休むかもしれないことをお伝えして回った。
祖母のお葬式の準備ができたということで帰宅する。
東方向から帰るのだが、大阪以西の交通網は寸断されていてどうにもならなかった。
空港で西回りで兵庫県に帰るのにいちばん適した便を聞くと、広島空港だと教えてくださった。
広島駅で新幹線に乗り、姫路で在来線に乗り換えて最寄り駅に着いた。
震災の第一報を入れてくれた母の親友が迎えにきてくれていて、自宅まで送ってくれた。
その時、被害が少なかった母方の親戚宅に身を寄せていた両親とおば、祖父が車で帰ってきた。後部場席にいた 祖父が私にティッシュペーパーの空き箱を差し出しながら、「絶対に落としたらあかんで!おばあちゃんの骨や!」とそれまで聞いたことのない強い口調で言った。
中には、軽石のような一握りの骨だけが入っていた。
火が強かったのか、温度が高かったのか…
こんなになるまで焼けてしまったのかと、ただただ悲しく涙が止まらなかった。
お葬式を終え、進学先に戻る前日に祖父母宅の焼け跡に行った。拾いきれていなかった小さな祖母の骨を拾い集めた。
周りの家も焼け落ち、全く別のところに来たかのような光景になっていた。この光景は一生忘れてはいけないのだと思った。
外国人の記者がおばに話を聞いている声がした。振り向くと、湯飲みに拾い集めた祖母の骨を見せながら「It's my mother's bone」と説明していた。それを聞いた記者は絶句し、それでも日本式に手を合わせてくれた。
It's my mother's bone.
40数年一緒に暮らした母親と生まれ育った家を1度に亡くしたおばが気丈に答えていた姿も、一生忘れないだろう。