今年も命日を避けて、可愛かずみさんのお墓参りに行かせてもらおうと思っていた。
命日にはご親族、生前かずみさんと親交のあった方たちがお墓参りをされるだろう。邪魔をしたくないから、その日は避けようと思っていた。

しかし、まさかのこんな事態。
新型コロナウィルスの感染防止をしなければいけない。
東京にも、私の居住地にも国の緊急事態宣言が出ている。動くわけにはいかないのだ。
心の中でお参りするしかない…

この事態が収束したら、またお伺いします。


変形性膝関節症の左膝と、転んでやらかした右膝の骨挫傷。素のままでは痛むし歩きづらいしで湿布を貼り、サポーターを装着して職場に行く。
ところが荷物をワゴンに載せ、立とうとしたら…

膝が痛すぎて立てない。
足を入れ替えてみても立てない。

ちょ、ちょっと待て。仕事にならんやないか。
変な汗が背中を流れる。

同僚が気づいてくれて何とか立ったものの、以降の業務はしなくていいから帰りなさい、と上司からの指示。

またひとつ、「使えん奴」というオプションが乗っかった。

月曜、左足変形性膝関節症の診察を受けた。
帰りに歩道の段差に足がついてこなくて、派手に転んだ。デニムの右膝部分が破れたくらいだからけっこうな勢いだったのだろう。
家に帰って見てみると、デニムが破れた部分は擦り傷で血が滲み、膝のお皿の下の方が腫れて内出血していた。

痛みと晴れが引かず、昨日診てもらった。
骨挫傷という状態で、骨折ではないけれど外的要因で骨の内部が傷ついて痛みと内出血が起きているという。
両膝にサポーターをしてみたら、まるでお相撲さん。
何かもう、笑うしかない。

爪を噛む。周りの皮を噛む。
もう元の爪がどれだかわからない。
不安、苛立ち、身の置き所のなさ…
疲れる。


変形性膝関節症と診断された左足の膝。
2階の自室から階下へ行くにも、手すりを持たなくては痛くて下りるのに時間がかかる。
この手すりは大腿骨骨頭壊死にかかっていた父のためにつけたものだ。父と単純に比較できないけれど、たかが10数段の階段の上り下りに痛みと時間がかかるのはしんどかっただろうなと思う。
自分の体なんてどうなってもどうでもいいや、と思いながら生きている私。
過食症の症状がひどくなっている現在、階下への上り下りが大変なのはしんどい。自室に持ち込んだ食べ物を食べ漁る状態だ。
何やってんだか。
今の職場から最寄り駅までは送迎車が出ている。
送迎車と言っても6人乗りの普通車で、乗れなければ 15%の急な坂を歩いて(走って)いくしかない。

もちろん、下り道の方が膝に来る。
「年取ったら膝痛めそうですね」なんて言ってたんだけど。

数ヶ月前から何か膝に違和感はあった。でも立ち仕事だし、まあそういう年齢よね…と思っていた。
ところが、それがいきなり痛みに変わった。
特に下り坂を歩く(走る)時、階段を降りる時に痛みが強くなる。
まさか…

整形外科を受診した。
予想通り、変形性膝関節症という病名がついた。
湿布薬と鎮痛剤をもらったが、なかなか効かない。
全く仕事にならない。

イライラする。
また病気をひとつ抱えるはめになるなんて。
爪を噛む。噛む。
今は、かろうじて右手の親指の爪と周りの皮。
こないだ気づいたら、爪の横側から下の方へ噛んでいて、爪が二段になっている。
何でこんなになるまで噛んでしまうのだろう…


明日で東日本大震災から9年になる。
ニュースでも取り上げられる時間が増えてきた。
私はNHKのニュースを見ることが多いのだが、津波の映像を流す前に「津波の映像が流れます」というテロップが出る。これがあるとないとでは、大きく変わってくるんだよなあ…と思いながらニュースを見ている。

私の父は阪神・淡路大震災で自分の母親が瓦礫の中で生きているのがわかっているのに、火がついてしまって救助できなかった。母親と生家。失ったものがどれだけ大きかったのか、聞くことはできなかった。
東日本大震災が発生し、現地の映像を見た父は、すぐにチャンネルを変えるようになった。
それでも、髪の毛が全て抜けた。睫毛まで抜けた。
心の傷という表現しかできないが、あの映像が引き金になったのだと思う。
その映像が流れるのがあらかじめわかっていれば、見ないようにできる。その配慮がなされていることにありがたさを感じている。



1年前の2月頃。
叔父が在宅介護してくれていた母方の祖母が、かかりつけの先生に「もしもという事態になるかもしれないので、会わせたい人がいれば…」と言われた。当時、100歳。いつ何があってもおかしくない。
仕事帰りに、行けそうな時は行かせてもらい、様子をみるようにした。

それから何とか一月以上が経ち、3月の101歳の誕生日を迎えてくれた。

1年前の4月5日。
この日は午前中から食べることも飲むこともできなくなったらしい。意識もぽんやりとして、浅い呼吸をしている、帰りに見に行けそうなら見に行った方がいいと思う、と母から連絡があった。
帰りに叔父宅に行った。
部屋を覗くと、確かに浅い呼吸をしている。あえて声をかけず、リビングで叔父から午前からの容態の変化を聞いた。

「もう食べんやろな」と言いつつ、19時ごろにゼリーとジュースを叔父が祖母の部屋に持って行った。
掛け布団を壁側に固めて祖母の背もたれを作るが、祖母にはもう自力で座る力がない。私は祖母の横に座り、寝巻きの腰あたりと背中を支えた。
そして叔父が口元にゼリーを運ぶタイミングで声をかけると、わずかに口を開いて食べてくれた。お茶もむせることなく飲んでくれた。
「信じられん…」と叔父。母にメールしても、「信じられない」と驚いた様子だった。

そしてこれが、祖母の101歳の生涯最後の食事となった。

今年の4月5日。
あの日からちょうど1年。祖母の1周忌の法要がある。
昨年11月末と12月に、職場で意識を失って倒れてしまった。
血圧や血糖値、ホルモンバランスを調べるために内科と婦人科を受診したが、特に問題なしということで様子を見ていた。
そして先週の金曜日。
最近睡眠導入剤が効かず、この日も睡眠時間は5時間弱だった。13時30分頃、息がしづらくなってまた倒れた。
意識もなく、呼吸も浅く、尿失禁までしていたらしい。
今日は精神科の受診日なので、このまま就労可能なのか診断書を書いてもらわなけれぱいけない…

もうダメだ。