【初代天皇】神武天皇を知ろう【建国の祖】 | 独立直観 BJ24649のブログ

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「天皇皇后両陛下 神武天皇の式年祭に」 NHKニュースウェブ2016年4月3日
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160403/k10010466321000.html

天皇皇后両陛下は、神武天皇の崩御から2600年になるとされる3日、奈良県にある天皇陵を訪れ、式年祭に臨まれました。

2日から奈良県を訪れている天皇皇后両陛下は、午前10時すぎ、橿原市にある神武天皇陵に到着されました。神武天皇は、日本書紀などに登場する初代の天皇で、3日で崩御から2600年になるとされます。
式年祭には秋篠宮ご夫妻も付き従われ、初めに天皇陛下と秋篠宮さまが、宮内庁の幹部の先導で鳥居をくぐり、砂利道をゆっくりと歩いて木立に囲まれた天皇陵の前に進まれました。そして、天皇陛下が玉串を供えて拝礼され、秋篠宮さまもこれに合わせて拝礼されました。
続いて、天皇陛下がお気持ちを表す「御告文」を読み上げられました。このあと、皇后さまと紀子さまも同じように拝礼されました。
両陛下は、午後には、神武天皇をまつる橿原神宮を参拝されることになっています。
一方、皇居でも、天皇陛下の名代の皇太子さまなど皇族方が、歴代の天皇や皇族の霊がまつられている「皇霊殿」で儀式に臨まれ、雅子さまも古式ゆかしい装束に着替えて7年ぶりに宮中祭祀に参列されたということです。」


 歴史教育においては、自国のなりたちを教えて然るべきところ、わが国ではこれを教えないのが一般的だ。
 推古天皇を初代天皇と勘違いしたまま大人になってしまった人は大勢いるだろう(推古天皇は第33代天皇)。 
 仁徳天皇陵古墳の写真を見て、推古天皇以前にも天皇がいたことに気がついても、初代天皇が誰かまでは調べない人も大勢いるだろう(仁徳天皇は第16代天皇)。
 卑弥呼を建国の祖だとするのは重大な勘違いだ。
 神武天皇が初代天皇であり、建国の祖だ。
 ワシントンや毛沢東は教えても神武天皇は教えないというのは、わが国を担う国民の教育と呼べる代物ではない。
 近年は、日本サッカー協会が八咫烏をシンボルマークに採用しており、これを通じて神武天皇の名前を知る機会を得た人もいるかもしれない(http://www.jfa.jp/about_jfa/organization/)。
 神武天皇の在位期間は76年なので、今年は皇紀2676年ということになる。


「国民歌「紀元二千六百年」映像+歌詞付き / Kigen Nisen Roppyaku Nen」 YouTube2015年6月27日
https://www.youtube.com/watch?v=zYgKAzOoNsQ

※ 「ブラタモリ」の第27回でタモリが少し口ずさんだ歌(http://rengacity.sakuraweb.com/article/172104572.html


 ところで、現在放映中の「仮面ライダーゴースト」は、仮面ライダーが歴史上の英雄の魂を憑依して戦うという作品だ(http://www.tv-asahi.co.jp/ghost/)。
 アクション的な面白さを重視して英雄を選んでいるせいか、それこそ卑弥呼が英雄扱いされるというイタい作品となっている。
 偉人伝の需要が高まっていると見込まれたのか、最近、2冊の人物史が刊行された。
 渡部昇一「決定版 人物日本史」(育鵬社)と倉山満、おかべたかし「基礎教養 日本史の英雄」(扶桑社)である。
 両書とも卑弥呼はスルーである。卑弥呼の重要度は低い。
 まずはこの認識を持つことから始めなければならない。
 卑弥呼を重要視してしまうところから、わが国の歴史がわからなくなる端緒がある。
 なお、神武天皇を英雄だとしても、ゴーストが天皇の魂を憑依して戦ったら、それはそれで畏れ多くて問題がありそうな気はする。

決定版・人物日本史/扶桑社
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基礎教養 日本史の英雄/扶桑社
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 両書ともに神武天皇の解説がある。
 私としては、予備知識のない人には倉山、おかべ「日本史の英雄」の方を薦める。
 両書の神武天皇の解説を読み比べたのだが、渡部「人物日本史」は内容が高度だ。
 ていうか、帯に「大人のための歴史教科書」と書いてある。
 「人物日本史」は、中高生向けの「決定版 日本史」(育鵬社、2011年)を読んだ後、さらに学習を深めたい人が読むという位置づけかもしれない。

[増補]決定版・日本史 (扶桑社文庫)/扶桑社
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 今回の記事では、倉山、おかべ「日本史の英雄」の解説を紹介する。


倉山満、おかべたかし 「日本史の英雄」 (扶桑社、2016年) 18~30ページ

※ 本書は、おかべ氏が倉山氏に解説を求めるという形式になっている。
  倉山氏の発言部分には下線を付す。



人間の原始の姿から歴史教科書を始めている国は極めてまれ

 日本人が日本を好きにならないための歴史教育の一端は、教科書の冒頭から見てとれるといいます。
 日本の歴史教科書の最初のページを思い出してみてください。おそらく多くの人が、土器や狩猟民族、北京原人にネアンデルタール人という、単語を思い出すでしょう。
 しかし、こういった人間の原始の姿から、自国の歴史教科書を始めている国は、極めてまれだといいます。では、多くの国の教科書は、何から始まっているかといえば、神話なのです。
「キリスト教の国でもどこでも、神話から始まって、自国の歴史の正統性や神秘性、魅力を伝えるのです。日本も戦前までは、『古事記』や『日本書紀』に記された、国づくりの神話から始まっていました。日本が他国に類を見ない点に<<天皇を中心とした国のかたちが一貫して続いている>>ということが挙げられます。ですから、初代の天皇である神武天皇のことを記して『日本はこんな古くから続いている』と教えるべきなのに、その名前すら見当たらない
 なぜ神武天皇の名前が教科書にないかといえば、日本の歴史学界では、史実として認めていないからなのだそうです。
「今の教科書に登場する最古の人名は推古天皇ですが、これは学会で『ここからは史実として認めていいだろう』と決めたからです。神武天皇や神功皇后といった『古事記』や『日本書紀』にしか記載されていない人は、史実として認められていないので、教科書には載りません。ただし、こういった基準は学会の単なる取り決めにすぎないのです」
 たとえ神話の世界の話であっても、今の日本を形作った物語を教えることは、決して悪いこととは思えない。それが、「史実でない可能性があるから」という理由で「日本の歴史ではない」とされ、日本を誇りに思う機会が奪われている――。あまり信じたくない事実ですが、日本の歴史教育が、こういった思惑に支配されているといいます。
「『日本はいい国じゃないよ』って習っていたら、歴史を面白いとは思えなくなりますよね。だから、多くの人が歴史から興味を失っていったのです」
 大衆が歴史から興味を失うと、学校で教えられる歴史が、その時代の空気を支配していきます。
「戦前は、英雄の話を教えていましたから、国民全体として日本はいい国だと思っていました。しかし、戦後、英雄の話を教えなくなってから、国民全体が、なんとなく日本は悪い国だと思うようになったのです。この空気を変えるためにも、日本人はもっと日本の英雄について知るべきなのです」
 「教科書から消えた人物」という表現があって、これは悪いことをした人を消し去ったと思っている人が多いのではないでしょうか。しかし、日本においては、「こんな立派な人物について教えたら日本人が自信を持ってしまうのではないか」という意図で消された人たちも少なくないのです。

 ならば、学びましょう。
 歴史に興味を抱くことができ、結果として日本を好きになれる英雄の物語を。

 最初に学ぶのは、まさに「教科書から消えた人物」のひとり神武天皇です。
 現在の教科書に登場する最古の人物である推古天皇は、33代の天皇ですが、神武天皇は、初代の天皇。日本の「国父」ともいうべき「その人がいたからこそ、今の日本がある」人物なのです。



1章 古代~中世 ―国づくりの時代―

英雄1 神武天皇(生没年不詳)

[初代の天皇][英雄類型③(内乱を平定した人物)]

 20人の英雄として最初に登場するのは、神武天皇です。
「神武天皇は、初代の天皇。<<その人がいたから、今の日本がある人>>にもっとも相応しい人物のひとりで『日本建国の祖』ともいうべき存在です」

 「在位中の天皇」のことを「今上天皇」といいますが、今上天皇は、神武天皇から数えて125代目になります。この歴代の天皇は、「万世一系」といって、全員がこの神武天皇の子孫によって受け継がれてきました。
 この天皇という制度(皇室)の歴史は、『日本書紀』によれば2600年以上。いちばん短い説でも1800年以上になり、これは世界でもっとも歴史ある国になります。2番目に歴史ある国とされるデンマーク王室はおよそ1000年。3番目のイギリス王室はおよそ900年ですから、我が国の歴史がどれほど長きにわたるかわかるでしょう。

中国のほうが歴史ある国?

 ただ「日本はもっとも歴史ある国」ということに疑問を抱く人もいるかもしれません。
 たとえば「中国3000年の歴史」というフレーズを聞いたことのある人は、中国のほうが歴史ある国だと思うでしょうか。
 ただ、これは「3000年の昔に中国と聞いて思い浮かべる場所に文明があったこと」を主張するものにすぎず、国としての歴史を意味するものではありません。事実、かの地には300年以上続いた国はないのです。
 「中国」と聞いて想像する場所には、「宋」や「元」や「清」といった国がありましたが、そこには連続性がありません。「宋」は漢民族の国ですが、「元」はモンゴル民族、「清」は満洲族の国など、統治している民族が異なるケースも少なくありません。このように国名が変わると、その前の王は殺され、文字や習慣も変わって、文化の連続性もなくなります。
 しかし日本は違います。
 日本では、源頼朝や豊臣秀吉、徳川家康などの権力者がいましたが、どの時代でも、国の「根幹をなす体制」は変わっていません。
 その「体制」こそが「天皇を中心とした国家である」ということです。この国の枠組みが変わっていないので、日本の文化は昔から今に続いているのです。

 このように神武天皇から125代にわたって皇室が続く日本は、世界でもっとも歴史ある国なのですが、この事実を知る国民はあまり多くありません。そして、日本が世界から多大なる尊敬の念を集めていることに、多くの国民が気づいていないのです。
「1989年の『大喪の礼(※1)』には、世界中の国家元首が招かれました。このとき、どういう席次にすれば各国に対して失礼に当たらないか、担当者はかなり悩んだといいます。しかし、実際には『日本が決めたことには従うだけ』という国ばかりでした」
 各国のこの姿勢の背景にあったのは、<<世界でもっとも古い国・日本>>への尊敬の念でした。
「歴史があるというのは、それだけで世界に通用するブランドなのです」
 国の力というのは、経済力や軍事力で測られがちですが、その序列を決める真の要素は、その国の歴史だといいます。

※1 大喪の礼/天皇の葬儀。この年は、昭和天皇の崩御により行われた

「俺が天皇だ!」といっても誰も納得しない

 では、なぜ日本の皇室は、これほどまでに長く存在することができたのでしょうか。
「最大の理由は、天皇が権力を手放したことにあります。通常、国を統治する王というものは権力を武力で守ろうとします。しかし、天皇は武力を持たず、日本の統治者を任命する存在です。つまり力を持った権力者に対して『あなたがこの国の統治者です』と任命してきたのが、天皇なのです」
 誰も天皇に成り代わろうと思わないことが、皇室と日本国民の強い結びつきを物語っています。
「天皇を殺して『俺が天皇だ!』といっても、誰も納得しないし、国を統治することはできない。天皇が『彼が統治者だ』と認めないと、国民が納得しないのが日本という国なのです。1945年の敗戦後、日本の占領政策の指揮をとったGHQ(※2)のマッカーサーが皇室を残したのも、こういった日本の国民性を感じとったからにほかなりません。それほど不可侵で絶対的な存在が、天皇なのです」
 ただ、こういった皇室が存続してきたことによって、どんな利点があったのかピンとこない人もいるかもしれません。日本の皇室は、この国にどんな貢献をしてきたのでしょうか。
「わかりやすい点を挙げれば、多くの人命が救われてきたことでしょうか。1871年に起こった6回目の”フランス革命”は、絶対的な力を持っていた帝政を市民が倒した革命ですが、3日の間に3万もの人が殺されました。この数は、日本の戊辰戦争と西南戦争を合わせた死者よりも多いのです。このように革命というものは、社会をリセットするので無法状態となり、その間、暴力と暴力が際限なくぶつかります。しかし日本では、天皇が次の統治者を任命した時点で勝者が決まるので、そこで暴力がストップするのです」
 この仕組みによって、幾多の無益な争いが避けられてきたのです。
 天皇が任命したならば、日本国民は納得する。この絶対性は、その歴史にあるといえます。
 日本人にとって、皇室とは「気がつけばそこにあったもの」です。たとえば、天皇家の氏神である天照大神を祀る伊勢神宮は、「大化の改新」を行った天智天皇の時代には「もういつからあったかわからないほど昔からあった」そうです。それほど歴史ある結びつきが、皇室と日本人の間に存在します。
「まさに空気のような存在。欠くことのできない文化。それが皇室であり、その起点となっているのが、初代天皇の神武天皇です」

※2 GHQ/連合国軍最高司令官総司令部のこと。ダグラス・マッカーサーを最高司令官とし、日本占領政策を実施した。本部は皇居の堀沿いに立つ第一生命館(現・DNタワー21)に置かれた。なお、マッカーサーが使った部屋は「マッカーサー記念室」として今も保存されている

2月11日は神武天皇が初代の天皇に即位した日

 このように、神武天皇とは、まさに<<その人がいたから、今の日本がある人>>なのですが、教科書にその名前はなく、知名度は思いのほか低い。しかし、その足跡を感じる機会が毎年一度、必ずやってきます。
 それが2月11日の「建国記念の日」です。実はこの日こそ、神武天皇が、初代の天皇に即位した日なのです。
 もともとこの2月11日は「紀元節」と呼ばれ、1873年から祝日と定められたのですが、戦後GHQの指示により祝日から除外されます。しかし建国を記念する日の制定を望む人が多く、名前を「建国記念の日」として、1966年に国民の祝日として復活しました。
 こんな経緯からも、「日本国民と神武天皇との結びつき」や「紀元節を残すことで、日本人が天皇を中心とした強い連帯を取り戻すことへのGHQの懸念」がわかるのではないでしょうか。
 しかし今日では、2月11日に「日本建国」や「神武天皇の足跡(※3)」について考える人は少ないでしょう。ただ、その日に何が起こったかを知らず、単なる休日として過ごすばかりでは、少し寂しい気がしませんか?
 2月11日は、神武天皇が初代の天皇に即した日。
 私たちは、そこから125代ものちの天皇の時代、この国に生きている――。
 「歴史に対する興味」や、「日本を誇りに思う気持ち」というものは、こんな歴史のつながりに思いを馳せることから生まれると思います。
 次の2月11日は、そんな機会にしてはいかがでしょうか。

※3 高天原という神の国から、太陽の神である天照大神の子孫が、日向の地(現在の宮崎県)に降り立ちました。その後、その子孫のひとり、神倭伊波礼毘古命(かむやまといわれびこのみこと。以下「イワレビコ」)は、日本全土をひとつにまとめるため兄とともに東に旅立ちます(これを「東征」といいます)。イワレビコは、今の大分県や福岡県、広島県や岡山県を経て、なおも東へと進みました。その道中では、兄が傷を負って死ぬなど幾多の苦難がありましたが、大和国(今の奈良県)の地に着いたイワレビコは、橿原という場所に宮殿を造り、天皇の位に就いたのです――。ここに初代天皇である神武天皇が誕生しました。それは『日本書紀』によれば、西暦紀元前660年のことになります」



※ 「生没年不詳」なのに没後2600年とわかるのはおかしい、と思う人もいるかもしれない。「日本書紀」に基づいて計算すれば没後2600年となるが、実際の生没年はよくわからないということだと考えておけばよい。「日本書紀」が正史であり政府見解(竹田恒泰「日本人はなぜ日本のことを知らないのか」(PHP研究所、2011年)34ページ)。


 そして、
「天皇皇后両陛下は、神武天皇の崩御から2600年になるとされる3日、奈良県にある天皇陵を訪れ、式年祭に臨まれました。」
という現代に繋がってくる。


「紀元節の歌 2月11日/ 祝日大祭日唱歌八曲」 YouTube2009年1月10日
https://www.youtube.com/watch?v=2UvYla-aZzc

※ 紀元節についての関連記事としてhttp://ameblo.jp/bj24649/entry-11988308704.html


 現在公開中の映画「仮面ライダー1号」では、仮面ライダー1号と仮面ライダーゴーストが共演している(http://www.superhero-movie.com/https://www.youtube.com/watch?v=lMHglTz9dpg)。
 歴史教育において毛沢東や今上天皇を教えながら神武天皇を教えないのは、「仮面ライダー1号」にノヴァ・ショッカーとゴーストが出てくるばかりで肝心の1号が出てこないようなものだ。そんな映画を見せられたら「金返せ」と思うだろう。
 また、第125代の今上天皇の存在は否定しようがなく、第125代がいるということは初代もいるはずなのに、この存在を認めないのは、1号を仮面ライダー史から抹消しているに等しい。1号あってのゴーストではないか(ゴーストは第27代。http://qq2q.biz/t6Y5)。

 神武天皇式年祭が行われ、また、英雄への関心が高まっているとおぼしきこの機会に、神武天皇の名前が少しでも広く知れ渡ってほしく思う。