主婦目線で安全保障つまりは抑止力の理解を得るには、どういう語り口があり得るのだろうか。
今後、日本国憲法9条2項の改正にも関わってくる。
この前、風呂掃除をしていてふと思った。
油断していたら、風呂場の床に赤カビが発生してしまった。
そこで、私は風呂掃除をした。
私が風呂掃除をし、風呂場をきれいにしたことは目に見えて分かる。
他方、油断せず、こまめに風呂掃除をしておれば、赤カビは発生しない。
さらに、「防カビくん」を焚けば、黒カビも防止できる。
しかし、カビの発生を防いだことは、目に見えて分からない。
前者の方が、家族に掃除をしたことが気づかれやすいのではないか。
しかし、後者の方が、気づかれにくいのではあるが、カビの発生を未然に防止しており、より感謝に値すると言えるだろう。
抑止力の議論も、この風呂掃除事例と似たようなものではないか。
赤カビが発生したのは、いわば我が領土への侵略を許してしまった状態である。
赤カビの発生を防止しているのは、いわば我が領土への侵略を防いでいる状態である。
カビの発生を防止するべく、普段から掃除用品を揃え、掃除をしておくのが、抑止力だ。
また、黒カビがいったん根を張ってしまうと、これを除去するのは至難だ。
いったん侵略を許して拠点を作られてしまうと、これを覆すのは大変な労力となる。
仮に赤い旗の腹黒い国がわが国を侵略し、沖縄県への上陸を許してしまったものの、自衛隊と米軍が首尾よくこれを撃退できたとしよう。
その時、国民は自衛隊と米軍に感謝するだろう。
しかし、そもそもそんな侵略を許さないに越したことはない。未然に防止した方がよい。
侵略を許さないように、武人を日々訓練し、武器を強化し、抑止力を働かせる。上陸して拠点を作らせないように、水際で食い止める。
我々が平穏無事に暮らせている時、そういう暮らしは抑止力を担う人たちが守ってくれているから可能なのだ。
侵略戦争を仕掛けられないで済んでいるのは、カビの発生を防ぐべく日々見えない努力をしている人のように、敵対国の侵略を抑止するために日々見えない努力をしている人たちがいるからだ。
人とカビは違う、平和を愛する憲法9条があれば抑止力などなくても日本は侵略されない、という人がいるかもしれない。
しかし、それは「私はきれい好きです」と宣言すればカビの発生を防止できるというのに等しい。
現実には、憲法9条ができた後、防衛体制が整わぬ間に、竹島は韓国に侵略され、占領され、今もそのままだ。
北朝鮮によって多数の国民が拉致されてしまった。今も大半の被害者がそのままだ。
いずれも取り戻すのは至難である。
人だろうがカビだろうが、こちらの言うことをきいてくれなければ同じである。
抑止力を機能させなければ侵略を許してしまう。
抑止力が足りなかったせいで、平穏無事な暮らしを奪われた人たちがいる。
現在進行形で、尖閣諸島海域で漁をしていた漁民たちが、中国の脅威のせいで、漁場を追われてしまっている。
なお、武力を持つことで平和が乱れると言う人は、掃除をするからカビが生えると言っているようなもので、倒錯している。
つまり何を言いたいか。
あなたが風呂掃除をしていないのに、風呂場がきれいならば、誰かがあなたの見えないところで掃除をしているということだ。
感謝を伝えてみてはいかがだろうか。
それが国の安全保障のみならず、家庭の安全保障にもつながるかもしれない。
23日は勤労感謝の日だ(なお、同日が本来は新嘗祭の祭日であることにつき、http://ameblo.jp/bj24649/entry-11955807474.html)。