【成人の日】成人式報道は立派な新成人を映すべき【吉田松陰】 | 独立直観 BJ24649のブログ

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そういう想いのブログです。

 明日は成人の日であり、各地で成人式が行われる。
 成人の日と言えば、マスメディアが新成人の情けないバカな姿を面白がって大々的に報じるのが恒例になってきた。
 これはバカの拡大再生産を助長する。
 目立ちたがり屋のバカが、マスメディアに取り上げられて目立とうと、バカを競うことになる。

 立派な新成人もいる。
 むしろ、立派な新成人の姿を紹介して、手本を知らしめるのがよい。
 私は本日の新成人関連の報道を見て感心した。


「新成人を祝う寒中水泳大会」 NHKニュースウェブ2015年1月11日
http://www3.nhk.or.jp/lnews/shizuoka/3034247931.html?t=1420978631957

「12日の成人の日を前に熱海市の海水浴場で、新成人を祝う恒例の寒中水泳大会が開かれました。
この大会は熱海市体育協会などが毎年開いていて、熱海市の海水浴場「熱海サンビーチ」に8歳から72歳までの男女50人が集まりました。
そして、新成人で唯一参加した地元出身で都内の大学に通う長津僚太さんが「体力と精神力の養成をはかりことし1年が最良の年となるよう最後まで泳ぎ切ります」と誓いの言葉を述べました。
参加者は準備体操をしたあと次々と海に入り、沖合30メートルほどまで泳ぎました。
11日は弱い風が吹いたものの晴天に恵まれて波も穏やかで、海水温は平年並みの14度でした。
参加者たちは海岸に集まった多くの見物客に向かってバンザイ三唱を繰り返し、「おめでとう」などと言って新成人を祝福していました。
成人を祝ってもらった長津さんは「海は冷たかったです。成人になり育ててくれた両親に感謝しています。将来は音楽関係の仕事について尊敬される大人になれるよう頑張りたいです」と抱負を話していました。


 良い光景ではないか。
 郷里を離れて学び、成人の日にあわせて帰省し、万歳三唱をし、人々に祝福され、両親への感謝と抱負をきちんと語る。
 これがあるべき新成人の姿なのではないか。

 バカをもてはやして面白がっても、バカの感染が広がるだけだ。
 何の利益もない。
 バカを取り上げて嘆いてみせるという猿芝居はもういい。
 バカの感染を食い止める方を考えるべきだ。

 今では成人式を行う市長までバカな姿を晒す(https://www.youtube.com/watch?v=izbKbfeSb_k)。
 バカ市長は名物市長ではない。
 郷里の恥だ。
 二度と市長になど就けてはならない。

 ところで、書店を見ていたら、小学校低学年だろうか、男の子が「花燃ゆ」のムック本を開いていた。
 吉田松陰に関心を示していた。
 本の誤植を見つけたようで、母親に報告していた。
 こういう子供が立派な成人になり、わが国の未来を背負って立つのだろう。

 私が本日購入した本には、こういうことが書かれていた。


吉田松陰著、松浦光修編訳「新訳 講孟余話 吉田松陰、かく語りき」(PHP研究所、2015年)100ページ以下

「第二節 すべては、「人々の心を正す」ことから・・・・・・(原文・11)

 今、野蛮な欧米諸国が、狼の群れのように日本に襲いかかろうとしています。いうまでもなくそれは、わが国の重大事ですが、じつはそれほど深刻に心配する必要はありません。
 深刻に心配しなくてはならないのは、今の人々の心が正しくない・・・・・・ということです。人々の心さえ正しければ、百人いれば百人が、みな自国を守るため、死ぬまで戦い抜くことでしょう。もちろん戦いつづける間には、勝つこともあれば、負けることもあるでしょうし、また有利になったり不利になったりもするでしょうが、それでも”突然、国が亡びる”ということにはなりません。
 しかし、もしも人々の心が、はじめから正しくない状態であれば、どうでしょう。本格的な戦いがはじまる以前に、わが国は、国をあげて野蛮な欧米諸国に降伏してしまうしかありません。ですから今、もっとも心配しなければならないことは、人々の心が正しいかどうか・・・・・・ということなのです。
 ほんとうに近ごろのわが国では、野蛮な欧米諸国に対して、国の体面を失うことが、しばしば起こっていますが、いったいなぜ、こんなことになったのでしょうか? はばかり多いことですが、あえて申し上げます。
 それは、幕府や諸藩の上に立っている武士たちや、その下にいる武士たちの心が、みな正しくないからです。正しくないから、国のために忠義を尽くして死ぬことが、誰一人できないのです。ですから、もしも孟子が、今、生きていたとしても、今のわが国への忠告は、一言ですみます。
 それは、「人々の心を正す」です。それ以外の言葉は、一つもいりません。
 そのことを広く解釈すれば、「洪水の害」「猛獣の害」などの自然災害も同じことです。それらが人々を、ひどく苦しめるもの・・・・・・ということは確かなのですが、「洪水」は治めることができるし、「猛獣」は狩ることができます。
 もちろん、「野蛮な外国人」や「君主の位を奪う者」も憎むべき存在です。しかし、「野蛮な外国人」なら、平定することができますし、「君主の位を奪う者」なら、処刑することができます。
 人々の心が正しい時は、「洪水の害」、「猛獣の害」、「野蛮な外国人」、「君主の位を奪う者」の四つの天災・人災について、心配する必要は少しもありません。しかし、人々の心が正しくない時は、さて・・・・・・どうなるでしょう?
 どうやって「洪水の害」を取り除きますか。どうやって「猛獣の害」を取り除きますか。どうやって「野蛮な外国人」を平定しますか。どうやって「君主の位を奪う者」を処刑しますか。それらはすべては、”正しい心”を持っている人によってしか、実行できないことではないですか。
 ですから、”正しい心”を持っている人がいなくなれば、世の中は、真っ暗になり、そもそも人が、人らしく生きることさえできない世の中になってしまうのです。もしも、そうなったら・・・・・・と考えると、ほんとうに寒気がします。
(「滕文公」下・第九章)

===

[余談]

 松陰は、その人生をかけて「攘夷」を訴えつづけましたが、「攘夷」というと、今の人々は”むやみに外国人を敵視する愚かな考え方”と思い込んでいます。しかし、それは、あまりにも浅く、薄い理解というほかありません。
 「攘夷」というのは、ほんとうは「外国からの不当な要求は、断固拒否する」という意味です。「不当な要求」を、やすやすと受け入れることは、「道義」に反します。ですから私たちは、「道義」を守るためにも、それを「断固拒否」しなければならないのです。そのような「攘夷」の精神を理解していなければ、たとえ細かい歴史事実をたくさん知っていたとしても、幕末という時代の本質を知ることは、たぶん永遠にできないでしょう。
 そのような「道義」を認識し、そしてそれを実践するのは、いうまでもなく「人の心」です。ですから、「国防」という問題も、最終的には「人の心」に帰着する、ということになります。
 そのことについて、松陰は、こう詠んでいます。

「備<そなえ>とは 艦と礮<ほう>との 謂<いい>ならず 吾敷洲<わがしきしま>の 大和魂」(嘉永六年十二月三日づけの兄・杉梅太郎あての手紙)

 意味は、こうです。「国を守る備えというのは、軍艦や大砲などの武器ばかりをいうのではありません。もっとも大切なのは、私たち日本人の、日本人らしい心です」。
 どんなに軍艦があっても、どんなに大砲があっても、そもそも「外国からの不当な要求は、断固拒否する」という国民の強い「心」がなければ、それらは何の役にも立ちません。もしも国民にそのような覚悟がないようであれば、松陰が語っているように、どれほど弱い「敵」に対しても、「戦う前に降伏」という未来がまっているだけでしょう。」

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 「花燃ゆ」第1話で吉田松陰は、本を通じて先人たちと対話できる旨を言った。
 そしてここで述べられていることは今のわが国にもあてはまり、傾聴に値すると思われる(「欧米諸国」というよりは「中華人民共和国」だが)。

 大東亜戦争に敗れたことにより、わが国は「備」を解かれてしまった。
 再びこれを構築しなければならない。
 大和魂なき民主党政権は、尖閣諸島沖漁船衝突事件など、外国に対して譲歩するばかりだったが、安倍政権は「備」の構築を進めている。
 安倍晋三内閣総理大臣はセキュリティ・ダイヤモンド構想に則って安全保障の改善を図っている。
 しかし、大和魂のない国民は、民主党政権よりも安倍政権の外交に不安を感じてしまうhttp://ameblo.jp/bj24649/entry-11802343962.html)。
 わが国の心はここまで落ちぶれた。

 人々の心が正しくなければ国防は成り立たない。
 攘夷の心を持ち、国軍保持のための憲法改正を望む民意すら形成できないようでは、わが国の衰亡は免れない。
 「花燃ゆ」第2話の最後の部分の歴史解説で、吉田松陰の東北視察が解説されていた。
 吉田松陰は、津軽半島沖にわが物顔で出没する外国船を見て怒ったとの話だ。
 翻って現在の我々はどうだ。
 尖閣諸島沖にわが物顔で出没する中国公船を見て怒っているか。
 それどころか、摩擦を恐れて不当な要求を易々と呑み、カツアゲされる情けない姿を「平和主義だ」と糊塗して開き直っていないか。
 「奴隷の平和」でよいのか。

 新成人よ。
 マスメディアがバカなら無視すればよい。
 市長がバカなら無視すればよい。
 彼らは手本にはならないのだ。
 吉田松陰の言葉に触れ、魂に触れ、攘夷の心を正しく持つとよい。
 吉田松陰が外国船を見て怒った時、彼は22歳だった。
 少しだけ先輩の、良き手本となるだろう。