【ハロウィン】祝日から目を逸らす外来のお祭りが自国をわからなくする【明治節】 | 独立直観 BJ24649のブログ

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流行に浮かされずに独り立ち止まり、素朴に真っ直ぐに物事を観てみたい。
そういう想いのブログです。

 10月31日、ハロウィンで日本中が盛り上がったらしい。
 私が見たテレビ番組によると、東京ディズニーランドがハロウィンイベントを開催するようになってから、ハロウィンが全国的に知れ渡るようになってきたとのことである。

 商売においては、消費を喚起するために、何かきっかけがほしいだろう。
 バレンタインデーも、製菓会社がチョコレートの消費を喚起するために広めた(どの製菓会社が広めたかは諸説あるようだが)。
 民間企業から広告料収入を得ている民間マスメディアも、バレンタインデーだのハロウィンだの、はたまたクリスマスだのを盛り上げようと喧伝をする。

 しかし、本当にこんなことを続けてよいのだろうか。
 これらは外来のお祭りである。
 我々には何も関係のないことだ。
 「何でもない日万歳」は、ディズニーアニメ「ふしぎの国のアリス」に出てくる台詞だが(https://www.youtube.com/watch?v=K-0WE7muXGY)、こんなふざけたことを繰り返していると、日本人は狂ってしまうのではないか。
 この台詞を言っているのは、いかれ帽子屋と三月ウサギである。その名の通り、いかれているのである。三月ウサギも狂っていることを表す(http://www.eigo21.com/etc/kimagure/z055.htm)。
 「何でもない日万歳」は、正常ではなく、異常なのだ。

 物事の価値を安易にお金に換算してしまう、浅ましい心性の広がりを感じる。
 三島由紀夫は「生命尊重以上の価値」があると言って自決した。
 当然のことながら、「お金尊重以上の価値」もある。
 ホリエモンこと堀江貴文は「尖閣をあげて、何かマズイことある?金出して中国から買えば良いじゃないですか!金出せば売ってくれますよ。」と言った(http://deliciousicecoffee.blog28.fc2.com/blog-entry-4135.html)。
 お金以上の価値のない、浅ましい拝金主義、唯物主義だ。
 APECで日中首脳会談が開かれる運びになっているが、中国はこれを開く条件として、実質上、尖閣諸島領有権の放棄と靖国参拝の放棄を求めている(http://www3.nhk.or.jp/news/html/20141107/t10013029051000.html)。
 ホリエモンだったらあっさりと受諾するだろう。
 しかし、そんなことにはなってはいけない。安倍晋三内閣総理大臣には、毅然とした態度を望む。

 「何でもない日万歳」の歌詞が出てくるのは「お誕生日じゃない日のうた」だが、これは、何でもない日を誕生日の如く祝うという滑稽な歌だ。
 気がついただろうか。
 バレンタインデー、ハロウィン、クリスマスに覆い隠されている祝日に。

 バレンタインデーは、建国記念の日すなわち紀元節を覆い隠す(2月11日)。
 紀元節は、いわば日本の御誕生日だ。
 日本建国の祖は、初代天皇である神武天皇だが、神武天皇の偉業を祝う日とも言える。
 ちなみに、大日本帝国憲法は明治22年2月11日に公布された。

 ハロウィンは、文化の日を覆い隠す(11月3日)。
 文化の日そのものを覆い隠すのは構わないが、もともとの明治節が覆い隠される。
 明治節は、明治天皇の御誕生日だhttp://meijijingu.or.jp/qa/gosai/06.html)。
 ちなみに、GHQによる占領統治により、昭和21年(1946年)の明治節の日に、日本国憲法という占領基本法が公布された。
 文化の日は昭和23年(1948年)すなわちGHQによる占領統治下で制定されたが、GHQが、大日本帝国憲法を公布した明治天皇を踏みにじり、憲法の押しつけというハーグ陸戦条約に反する違法行為をし、非文化的で野蛮な日本に文化を教えてやったという、屈辱の日だ。
 GHQこそ、非文化的で野蛮な連中だった。奴らは母国語も満足に使えないバカだった。
 幣原喜重郎内閣総理大臣は、マッカーサー草案を見て、「貧しい英語だ」と慨嘆した(倉山満「誰が殺した?日本国憲法!」(講談社、2011年)105~107ページ)。
 こんな憲法を護持し、文化の日を制定しているのは、真に恥ずかしいことだ。
 文化の日およびその直前には、こういう問題意識を喚起すべきだと思う。
 ハロウィンで仮装してゴミを撒き散らしてバカ騒ぎをしている場合ではない(http://www3.nhk.or.jp/news/html/20141104/k10015933081000.html)。

 クリスマスは、天皇誕生日すなわち天長節を覆い隠す(12月23日)。
 天長節は、今上天皇陛下の御誕生日だ。
 クリスマスは今の天皇誕生日制定よりも前から慣れ親しまれているではないか、クリスマスを盛り上げて天皇誕生日を覆い隠そうとしているなどと言うのは時系列がおかしい、と思う人もいるかもしれない。
 しかし、いずれ12月23日が天皇誕生日になることは、今上天皇陛下がお生まれになったとき、すなわち昭和8年(1933年)からわかっていることである。遅くとも、立太子の礼が行われた昭和27年(1952年)11月10日にはわかる。

 これらの外来のお祭りによって覆い隠された祝日はすべて、天皇の誕生日およびわが国の誕生日であり、日本人が最も祝うべき日である。
 紀元節、明治節、天長節、そして新年は、四大節と呼ばれるが、そのうちの3つが覆い隠されているのである。
 マスメディアのほとんどが三大節を小さく扱い、近接する外来のお祭りを大きく扱うのは、日本文化の破壊である。
 本来であれば、日本人が天皇を意識し、祝い、日本人であることを確信すべき日に、マスメディアのほとんどは、そうはさせじと日本人の目を天皇から外国へと逸らすのである。

 「私はこれからの日本に大して希望をつなぐことができない。このまま行ったら「日本」はなくなってしまうのではないかという感を日ましに深くする。日本はなくなって、その代わりに、無機的な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜目がない、或る経済的大国が極東の一角に残るのであろう。それでもいいと思っている人たちと、私は口をきく気にもなれなくなっているのである。」
 三島由紀夫の有名な言葉だ(http://ameblo.jp/bj24649/entry-11886929553.html)。
 「何でもない日万歳」に興じているうちに、日本人が日本人ではない滑稽でいかれた人になってしまい、日本が日本でなくなってしまう。
 自国に対する愛着も育たず、自国を自分たちで守るという気持ちすら育たない。

 バレンタインデーやハロウィンやクリスマスを楽しむなとは言わない。
 楽しんだらよろしい。商売をしたらよろしい。
 しかし、それ以上に、日本人として祝うべき日である紀元節、明治節、天長節を意識し、祝うべきなのだ。
 現状では、バレンタインデー等は、日本人に”祝”日を忘れさせるという、”呪”いの祭りとして機能してしまっている。

 まずは自国。まずは日本。
 そういう基本原則に立ってこそ、世界で通用する真の国際人になることができる。
 自国を知らず、外国に迎合することが国際人の素養ではない。
 国際人の素養を身につけた上で、ハロウィンなど、本場の外国で楽しんだらよいのではなかろうか。

 祝日にも、GHQの占領統治によって失われてしまった日本らしさを見て取ることができる。
 「日本を、取り戻す。」
 平成24年(2012年)、安倍自民党が先の衆議院議員総選挙で掲げた言葉だ(http://jimin.ncss.nifty.com/pdf/seisaku_ichiban24.pdf)。
 日本を取り戻すためには、祝日を取り戻さなければならない。
 文化の日を廃止し、自主憲法を制定すべきだと思う。



◆参考動画

「『山の日と信念を貫く政治家①』杉田水脈 AJER2014.6.11(5)」 YouTube2014年6月10日
https://www.youtube.com/watch?v=6iBL8mqGYfM

※ 田沼隆志衆議院議員(次世代の党)も出演

「【西村眞悟】「日本を取り戻す」ための根源的な課題とは[桜H26/11/11]」 YouTube2014年11月11日
https://www.youtube.com/watch?v=eAhjpgnaW34

※ 11月12日追記