ペットロスと虹の橋。 | ぽめちわちわわ。 ~ポメチワとスムースチワワの日記~

ペットロスと虹の橋。

↓この乳歯と大人の毛に生え変わる前の子犬の毛。

ポメチワのブラウニーのでは、ありません。

もちろんスムースチワワのティンキー・ウィンキーのでもない。



この乳歯が抜けたのは、もう13年も前。

今から8年前に虹の橋に行ってしまった、

私の初めての「私だけの愛犬」

シェットランドシープドッグのB-Jの乳歯です。


自分でお金を出し、自分だけで世話をする。全てが初めてだらけ。

かわいくて、おりこうなB-Jに私は夢中だった。

若かった私は、本当にどこへでもB-Jを連れて行った。

小さかったB-Jをお腹の服の下に忍ばせて

「西友」で買い物りもした。(西友さんスミマセン。)


BーJが5歳を過ぎた頃、「悪性リンパ腫」が見つかった。

病院で告げられた時は、どうやって車を運転して、

どうやって家まで帰ったのかもわからない位に、気が動転してた。

泣きながら運転する私の後ろの席で、

B-Jは、ただ静かに座っていたと思う。いつものドライブの時のように。


それから3ヵ月後、B-Jは静かに息を引き取った。

私が家に帰るのを待って、私の声を聞きながら・・・

その瞬間、私の意識は遠くなった。

「しっかりして!」の母と妹の声で我に返った。


「家族みんなの犬」ではなく、「私だけの愛犬」。

本当に特別だったB-J。


当然のように、私はペットロスになった。


何をしてても涙が出てくる。


亡くなって1ヶ月くらい過ぎた頃、

気付いたら、夜中に裸足のまま庭に立って泣いてる事もあった。

(母が言うには、私は「B-J,B-J!」って呼びながら突然

外に出て行ったらしい。)

追いかけて来た母の「B-Jはもういないんだよ!」という言葉で

外で泣いている自分に気付いた。


我に返って、また母と大泣きした。


もう2度と犬は飼わないと決めた。

こんな辛い思いをするくらいなら・・・


それから私は外国に住んだりして「犬との生活」から離れた。


それでも突然、B-Jを失った悲しみが襲ってきて

涙が止まらない日が何度かあった。


日本に戻り少し経った頃、ある事情で私は日本に留まる決意をした。

海外にいる方が好きな私は、日本に住む楽しみを見つけたかった。


そこで出会ったのが、

もう2度と犬は飼うまい、と思ってた私の心を動かした

愛くるしい、ぬいぐるみのような顔の子犬「ブラウニー」だった。


最初はブラウニーのやること、なすこと全てがB-Jを思い出させよく泣いた。

名前もよく間違えて「B-J!」って呼んだり。

ブラウニーの性格は本当によくB-Jに似ていて、生まれ変わり?

なんて思わせた。


その1年後、私に、ありえない位の悲しい出来事が起きた。

そんな中、ブラウニーは私を励まし続けてくれた。

ブラウニーの日々の世話をするだけで、私の気はまぎれた。


その時「あ、B-Jは知ってたんだな、私に悲しみが訪れる事を・・・

だから、ブラウニーを私に送ってくれたんだな」って思った。


虹の橋に行ってしまった後も、私を見守り助けてくれているB-J。

もう1度、犬の愛情とぬくもりを教えてくれました。


B-Jが送ってくれたブラウニーと縁あってウチに来たT-W。

2匹からは、与えられることの方が断然多いです。

犬って「天使」なのかな?ってたまに思います。



今日、本屋さんで「虹の橋」と言う絵本を見つけて

立ち読みしながら、B-Jのことを思い 涙が溢れてきました。

そして B-Jも今、虹の橋の花畑で走ってるだろうなって思いました。

亡くなって8年経った今でも、こうして書いていると涙が溢れてくるよ、

B-J。



湯川 れい子, 半井 馨
虹の橋