あいちゃん農園付近の展望から見える風景
ここが「吉野ヶ里町」
私が生まれた「旧東背振村」です
生まれた場所が「村」ということで
若い頃は恥かしく思っていました。
高校時代からバイクに乗っていたんで
ナンバーに「村」と表示されるのが恥かしくて
わざと隠したりしていましたが、
今はこの村に生まれた事を誇りに思います。
私がこの村に生まれる事が出来たのは
先祖の導きです
そして、今日は
亡くなった祖父虎次の17回忌でした
寅年に生まれたから虎次だそうです
法事後は
幼馴染であるお寺の副住職と
昼から一杯!
弁当は食彩朱美さんの懐石弁当です
色んな雑談を楽しんですっかりお昼から
飲んでいましたが
その後は、副住職とお寺へ行って
祖父の霊へ挨拶に行きました
幼い頃からここの境内で遊んでいました。
私の祖父は「石工」をしながら、
寺総代という檀家の取りまとめ役をしていました。
また、死ぬ前に何かを残したいと
この石碑も建立しました。
国道385号線沿いにそびえています。
また祖父は、臨済宗の開祖「栄西」が
中国から帰国後にお茶を植えた
日本茶の発祥地「霊仙寺」
ここのお世話もやっていました。
手入れが大変ですが
昔は祖父が一人で良くやっていました。
いずれは私もしないといけない時が来るでしょうね・・・
祖父は満州でソ連兵に刺された傷の治療で輸血を受けた際に
C型肝炎に感染し、最後は肝臓がんで亡くなりました
最後は全身にガンが転移していましたが、
最後まで全く苦しむことなく黄泉の国へ旅立ちました
亡くなる前日に私が祖父に言われた事
「○○(私の父)の傍にずっと居てあげてくれ。○○は若い時に相撲取りを目指して
東京に行きたいと言っていたが、我慢してこの村で生活してくれたのだ・・・」
ようは家族というものは一つ、一緒に暮らす事が一番だと
そのように私に話してたのが、妙に祖父からの遺言になりました。
当時すでに波乱万丈が始まっていた大学生で生活も荒んでいた私でしたが
「将来どんなにころんでも、こんな田舎で暮らす事は絶対出来ないから
じいちゃんの遺言は守れないなぁ」
これが私の本心でしたが
結果・・・この村でどっぷり過ごしています
私の祖父は
私の命を救ってくれた人でもあります。
9年前私は脳腫瘍からの脳出血で死にかけた事がありました
私が死に掛けて臨死体験をした際に
祖父が私を連れ戻してくれました。
ハッキリした記憶は無いけど、
ウルトラマンが始まる時のような光の渦に吸い込まれるように
天井に引き込まれていきました
そして、この原木椎茸の椎茸園へたどり着きました
ここにたどり着くまでに
これまでお会いした数万人の方々と一瞬でお会いした様な気がします
そしてその向こうに広がる川
この川が
所謂、三途の川というのでしょうか???
今は護岸工事が施されていますが
私が子供の頃は大岩がゴロゴロした、ジャングルみたいな川でした。
祖父が私を待っていました。
見知らぬ子供達と一緒に・・・・・
そして29歳の私は
父に抱かれてこの川を渡り
今の世界へ舞い戻る事が出来ました。
何のために私があの大病から生還し
今を生きているのか?
未だに良く分かりませんが、
それは祖父や祖先の力のお陰としか思えません
9年前私を救った祖父がいた畑が
この「吉野ヶ里あいちゃん農園」なのです
私は今でも祖先に守られて生かされているのです
世界の珍野菜が盛り沢山!
真冬の寒さで彩り鮮やかに・・・・冬の花
ロッサベローナプレコーチェ
クリスマスカラ―の・・・イタリア野菜達
美しすぎる真冬のイタリア野菜が沢山!
イタリア野菜の総本山
吉野ヶ里あいちゃん農園
お問い合わせ
農業生産法人 ナチュラリズム株式会社














