7月16日

長い長い1日が終わった。


私は床についた。

告げられた命の期限

罵声を浴びせてきた従業員たち

残された多額の負債

そして、妻のこれからの未来


そんな事を考えながらでも

何故かすんなりと眠れていた。

 

「何か、物音がする」


ふと目がさめると

妻が小さく体を曲げて

震えている。

妻が声を殺しながら


泣いていた。


私は後ろからそっと妻を抱きしめた。

 「ごめん。こげんことになって・・・・」

 「いいとよ。ごめん泣いて。大丈夫やけん

    貴方は必ず生きるけん大丈夫なのにね・・・」


気丈にしていた妻・・・・


やはりショックが大きかったようだった。


 「必ず復活するけん大丈夫」


私も妻に誓った。


不思議と怖れを感じる事が無かった。

7月17日


朝、目が覚めた。

体が動かない。

無理やり動かしスーツに着替える。

病気なんだから動かないのは当たり前。

原因が分かったので、少々具合が悪くても

私に不安は無かった。


今日から、万が一の事を考えてあらゆる事を

整理しなければならない。

妻は披露宴予定先のホテルへ

披露宴延期の交渉に向かう。

私は顧問税理士や社労士達と今後の相談をしなければ

ならない。


問題は山済みだった。


合間を見て披露宴招待客の知人たちに

延期の電話を入れる。


皆、対応は様々だった。


 「お前、酔っ払ってんの?」


脳腫瘍で「ろれつ」が回らないのを面白がる奴もいた。


私がいたって普通なので、


嘘ついていると思っているようだった。


 「本当は、嫁さんに振られたんやない。笑」


まぁ、確かにそう思うかもしれない。笑


私自身、笑うしかなかった。


事業自体はあの問題で

全て整理していたが

残された形ある資産の

飲食店。


これだけは妻と父に残そうと考えていた。

私の父はサラリーマン兼農家であるが

何故か

企業経営に異常に詳しい。


私は父になら安心して・・・・

いや、父は私以上に経営者である。


任せられる。


私にもしもの時は、父に経営者になってもらいたかった。




私は法律関係のあらゆる手続きは自分で

当然のように出来た。


会社代表権の譲渡即ち

父への代表権の委譲の登記申請の準備。


わずかに残る個人資産の整理。


そして、債権者への交渉。


正当な金融機関へは

私はわざと具合が悪いフリをして同情を買う作戦に出た。

ほとんどの債権者は

皆一様に支払いの催告を躊躇した。


しかし、街金達はそんな事は関係ない。

百戦錬磨の私は

本来、街金すら問題になる相手では

無いのだが、事態は逼迫している。


私が「術中死」でもなろうものなら

債務は単純承認され

妻と両親へ

負債の相続を求め

取立てに来るかも知れない。


そんなこいつらは

後回しだった。


情けない。本当に情けない。


しかし、何とかこの事態は切り抜けなければ

そんな想いの日々であった。