命を賭けた半年間の挑戦 | BALLOON LIFE ~special life~

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バルーンアーティストTOSHI



今回(2023.6/4〜)の入院に至るまでの経緯をお伝えしようと思います。


私は22歳の時にSLEという難病を患いました。もう治すことは難しいと言われ、それを理解した後、今を目一杯楽しんで生きようと決意しました。


面白いことに、人というのは追い込まれると最大限のパワーを発揮できるようです。25年間、時には入院を交えながらも、いくつもの挑戦をし、たくさんの思い出ができました。


2年くらい前から父の認知症が始まり、8ヶ月前くらいから僕を支えてくれていた母が乳癌、帯状疱疹と病に蝕まれ始めました。


私自身も5年前くらいに脳梗塞、2年前から精神疾患と体調悪化に悩まされてきました。意識系で車の免停、、次から次にやってきました。


嫁、息子と家族も養っていかなくてはならないし、僕がこんな状態では話にならない。


そこで決心しました。難病を治そう。と。


甘えだったかもしれない。薬に頼りすぎていたかもしれない。母に任せすぎたのかもしれない。いろんなものへの依存が見えてきました。そうだとしたら、これからは私が大黒柱となり、家族を支えて行く。そういう生き方をしようと。


病院の先生に相談して、最短期間での減薬からの断薬に挑戦することにしました。まず、行ったのが鬱の薬の断薬です。依存を無くす決心に傾いていたので、2ヶ月くらいで成功しました。


問題はSLE難病です。減薬するたびに体はかなりの負担を負うため、強い精神力が必要でした。


減薬から3ヶ月が過ぎたころには、1ヶ月間の3分の1は39度くらいの熱が出ていました。4ヶ月を過ぎた頃にはひどい貧血が始まり、熱が出る頻度が高くなっていきました。


それでも、自分の免疫力を信じて、挑戦を続けました。自分の体、そして私がそんな状態だと美容室のお客様に悟られないように、だましだまし毎日を過ごしていました。


5ヶ月を過ぎた頃には、とうとうドクターストップがかかってしまいました。この頃には少し歩くだけで息切れが激しくなっていました。精神科でも脳波の異常が出て免停の延長という形に余儀無くされました。


そんな自分の体が悔しくて悔しくて、悔しくて、先生にあと1ヶ月だけ挑戦させて下さいと頼み込みました。もう本当にギリギリの数値ですと言われましたが、後悔したくなかったのでやらせてもらいました。


半月後、毎日39度の熱、栄養失調、吐き気、貧血、息切れ、たんぱく、血尿、強制的に挑戦は終了しました。大量のステロイドや薬を使ってとりあえずドーピング状態になっているのが今です。


耐えに耐え抜いた臓器達。どれくらい傷んでしまったかを検査し、回復に向かって治療を始めるための検査入院です。


もう、落ちるとこまで落ちたし、やれること全部やったので、全く後悔はありません。ただ家族に心配かけてしまったことを反省しています。そしてこの身勝手な挑戦を許してくれた、膠原病科と精神科の先生には感謝の気持ちでいっぱいです。


これから、どれくらい生きれるかわからないけど、みんなを幸せにし続けてからしか絶対に死にませんのでご安心を(笑)。


とりあえず、しばらく休養させて下さい。すぐに帰ってきます。

↓続編があります。


最後まで見て頂いてありがとうございました。


TOSHI