自分はいろんな能力が高い(らしい)ので、「自分の素を出すより現状維持で繕っておいたほうが面倒が少なくて済む」とか「任せるより自分でやったほうが早いし確実」とか「誰もできない(やれない)から自分がやるしかない」とかで、誰かに頼ることがなかなかできません。他には「人に迷惑がかかるから自分ですべて片付けるべきだ」と言うのもあります。
自分には重荷に感じることも「他の人ができない(自分しかやれる人がいない)から自分が率先してやるしかなかった」。実際自分がやることでしか解決できないことが多かったです。
昔からヘルプを”出せなかった”んですが、頼ってみたら頼ってみたで、想像していたよりも冷たい展開が多く起こっただけでした。これもどうやら、自分がヘルプを出すのが苦手であることによる"頼る先の見誤り"だったようです。
 
そんなふうに「ヘルプを出さ(せ)ない」人というのは、育ってきた環境になんらかの問題や理由を抱えていることが多いです。我慢(抑圧)をするしかなかった。有能でないと(なんでもひとりでできないと)愛してもらえなかったとか、生きていけないだとかしていた、などです。
当ブログでは、そう言った「今の傷と呪いに繋がっている過去の体験」や「それにより定着してしまったシャドウの掘り下げ」について、いくらか記事を投稿しています。

 

 

 

 

 

 

そのような「弱い自分でいることを許されなかった(認められなかった)」などの過去体験が強いと、仮面(ペルソナ)を被り続け、自分の弱さ(恥になる部分)を慢性的に表出させられなくなります。恥になる部分、それはどうやら占星術の「キロン」に示される内容のようです。

 

 

他人は自分の鏡、とよく言われたりもしますが、これはおそらくここら辺のシャドウとその投影のことです。

心底嫌気のさす他人が近くにいる、そこから自分の中の抑圧された邪悪さ、ダークな部分を探し当てる、というもの。

「自分が我慢(自分に禁止)しているもの」と「他人がやっているこちらの禁止事項(自分の枷)」。それを突き止め、理解し、「ゆるす(自己受容)」ことができると、格段に生きやすくなるのは確実なようです。自分への制約も無くなるのですから。

 

そうすると何が起こるのかというと、「自分が恥をかくことや自分の弱さなどを受け入れ許すことができるので、他者にヘルプを出す抵抗感も消える」わけです。

恥をかくことを避けようとする心理(プライド、頑固さ。自分の弱さへの否定)があるから、他人に自分の劣ったところを見せられない、不利益を被るとして、素直に尋ねたり頼ったりすることができない。

それは、他者は何も悪くないんですよ。素直にならないと損をする、とよく言われるのもそれらが理由です。

その他者が馬鹿にしたり否定してきたりする人物なら話は変わりますが、そうでもないなら、試してみるのもありなんじゃないでしょうか。

 

聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥という諺があります。古代ギリシアの哲学者・ソクラテスの見出したものの中に「無知の知(不知の知覚)」や「汝自身を知れ」というものもあります。

無知である自分、弱い自分、不出来な自分に抗うことをせず自覚し、きちんと受け入れ、強がらないこと。それができることで”本物”とされる考え方たちです。

それらに抗っていても自縄自縛で自身の首を絞めて八方塞がりになり、袋小路に陥るだけなんですね。

 

自分の弱さや無知さ、不出来さなどを受け入れてもらえなかったことによる「全部ひとりでやらなきゃならなかった」という環境。ありのままの自分であることを許されず、心を抑え込むことでやり過ごすような、そんな中で生き抜いてきたために、”そもそも人を頼る(自己開示をする)方法がわからない”んだと思います。

それだってまずは「自己受容」、無意識領域(月)に刻みつけられた傷と呪いの特定からなんじゃないでしょうか。

「自分の弱さから目を逸らし続ける保守的な生き方」をしていて、本当に”自由”になれるのでしょうか。自分はそうは思いません。

ただ、これは非常に苦痛を伴うプロセスであることも間違いないので、できれば周囲の「打ち明けられる人」と一緒に、行っていきたいものではあります。

 

 

これら自分の内面を直視する作業を乗り越えられた先には、きっと今までよりも世界が明るく見えるようになるはずです。

すべてはあなたの一部、あなたが愛してあげないと、死ぬまであなたと一緒にいるのはあなた自身なのですから。