経済効果 ○兆円って本当? 過去の似た例探し参考に
エコノ探偵団
「大きなイベントでは、よく経済効果が○兆円と宣伝されますよね。本当なんですか」。近所の会社員から依頼が舞い込んだ。「確かに数字はよく耳にするけれど、どう計算したのかは知らないな」。探偵、松田章司が早速調査に乗り出した。
五輪招致を目指し、開催時の経済効果を試算している。そう耳にした章司は東京都庁に向かった。ところが、応対してくれた木村賢一さん(39)は「2020年大会の計算はまだです」と話す。「ただ、前回立候補した際のものはあります。一般的な手法なので今回も採用する見込みです」
■関連産業が鍵
それによると、16年大会で開催地に選ばれていれば、経済効果は2兆9400億円に達するとしていた。まずスタジアム整備や公式グッズの購入などに使われるお金(直接効果)。過去の海外の大会実績などを基に推計した。
「風が吹けばおけ屋がもうかる」式に、五輪特需がどう広がるかも計算する。施設の資材を作る鉄鋼メーカーなど関連産業で生産額が増える(第1次波及効果)。すると、そこで働く人の所得が伸び、買い物や飲食などの消費にまわる。その影響も考慮するわけだ(第2次波及効果)。
これらは、産業同士のつながりを示す「産業連関表」を用いて導き出す。「五輪招致の意義を説得力を持って説明するために、数字が重要なのです」。木村さんは強調する。
ユニークな例を次々発表している関西大学大学院教授の宮本勝浩さん(67)にも聞いてみた。「過去の似たような事例を参照しています」。ダルビッシュ投手の大リーグ入りの効果260億円は、人気選手が入団した際の関連グッズの売れ行きなどを参考にはじき出した。夢を持てるような試算を心がけているそうだ。
「経済損失はどう計算するのだろう」。章司は酒の飲み過ぎによる損失を4兆円と推計した鳥取大学准教授、尾崎米厚さん(50)に問い合わせた。尾崎さんは医療費のほか、アルコールが原因で亡くなった人が稼げたはずの賃金、仕事の効率低下などを合計したという。ここでも飲酒関連の調査データが使われていた。
■前提が重要
「過去の事例をみながらしっかり計算するんですね」。第一生命経済研究所の永浜利広さん(40)に意見を求めると、うなずきつつ「出てくる数字が何を示すのか、注意する必要はあります」と教えてくれた。
永浜さんが指摘したのは波及効果の特徴だ。例えば、公式Tシャツは糸、生地などの段階を経てできる。関連する産業の売上高をすべて足し上げると、糸代が生地代にも、Tシャツ代にも含まれてしまう。「恩恵を受けた産業の裾野の広さを示しますが、原材料費の重複分を除くと、一般的に半分程度になります」
重複分を除き、もうけや給与などを合わせたものを付加価値誘発額と呼ぶ。この額を都の五輪招致で計算すると、約1兆4400億円にしぼんでしまう。
実は経済効果と一口に言っても、2次波及は省いたり、誘発額を示したり、まちまちだ。事務所で報告すると所長がうなずいた。「我田引水じゃないが、計算する人の思惑が出ることもありそうだぞ」
■あくまで概算
「ほら。同じことを調べたのに正反対の結果も出ている」。所長が見せてくれたのは貿易自由化の経済効果に関する資料。農林水産省は自由化で実質国内総生産(GDP)が7.9兆円減るとした。ところが、経済産業省は自由化しないとGDPが10.5兆円減るという。章司が問い合わせると、農水省は農業と関連産業、経産省は自動車や機械など主力産業への影響だけを計算したと分かった。
撤回された滋賀県内の新幹線新駅計画では、計算手法が同じでも大きな違いが出た。県などが04年に導き出した建設関連の経済効果は6400億円だったが、06年の検証で3000億円に。最新のデータを使い、将来人口を1割弱少なく見積もったのが主因だ。
都市政策が専門の関東学院大学教授の安田八十五さん(67)に聞くと、前提をどうするかで大きな差が生まれるという。「ところが事業を正当化するため、楽観的に想定したと疑いたくなるケースもあります」
統計分析に詳しい日本大学教授の小巻泰之さん(49)にも尋ねた。小巻さんは「物事にはプラスとマイナス両面ありますが、すべて考慮して経済効果を導くことは難しい。どちらかだけを計算しがちです」と解説する。双方を見据えた計算モデルを作る方法もあるが、これも条件が異なれば結果は大きく違ってくる。
正確だったかどうか、チェックもしにくい。試算は調べたい出来事以外、すべてそのままと仮定する。実際は景気や為替などいくつもの要素が変化。しかも複雑に絡み合うため、原因と結果の関係がよく分からなくなる。「なぜ経済効果を調べるのですか」。章司の疑問に小巻さんは「目安になる数字がなければ、事業などが必要かどうか判断できませんよね」と答えた。
経済政策論が専門の法政大学教授の小峰隆夫さん(64)も判断材料としての役割を強調した。「正確とはいえないまでも、大まかな規模はつかめます。議論の出発点にできると捉えるべきでしょう」
概算でも分かれば、その事業にかかわってみようという意欲が湧くかもしれない。どこが試算しているのか。前提は何か。一つずつ検証することで、効果をより厳密に見極められる。「利点と欠点を知るためなんだ」。章司は納得した。
◇
「事務所にマッサージ機を置けば仕事の能率が上がるのでは」。章司が提案すると、所長が一言。「居眠りするマイナスの効果も見極めないとな」
<「実験」できる学問へ>研究室で各種取引を再現
「実験できない学問」。経済学はそういわれてきた。人々の生活に直結する金利の水準を、効果測定のために勝手に上下できない。
経済効果を実験で確かめるわけにもいかない。仮説の検証ができないため、有効な政策は何か、専門家の間で意見が大きく分かれることも多かった。
ただ、コンピューターなどを使いながら、一定の条件を決めて様々な取引を研究室内に再現することはできる。そこから、人々がどう行動し、どんな結果が出るのかを推し量るのが、国内外で活用が始まった「実験経済学」だ。
大阪大学の西條辰義教授は、温暖化ガスの排出量取引が有効に機能する仕組みを実験で調べた。すると、うまくいかないパターンが、実際の欧州の取引市場とそっくりだと判明した。欧州の研究グループが調べたのは、乗り捨て可能な貸自転車が無くなったり壊れたりする問題。実験から、貧しくて将来に希望が持てない人たちが自転車を壊してしまうことが分かったという。
理論の構築と検証を積み重ね、真理に迫る。自然科学の手法を経済学に応用できるようになれば、より精緻な政策が生まれてくるかもしれない。
エコノ探偵団
「大きなイベントでは、よく経済効果が○兆円と宣伝されますよね。本当なんですか」。近所の会社員から依頼が舞い込んだ。「確かに数字はよく耳にするけれど、どう計算したのかは知らないな」。探偵、松田章司が早速調査に乗り出した。
五輪招致を目指し、開催時の経済効果を試算している。そう耳にした章司は東京都庁に向かった。ところが、応対してくれた木村賢一さん(39)は「2020年大会の計算はまだです」と話す。「ただ、前回立候補した際のものはあります。一般的な手法なので今回も採用する見込みです」
■関連産業が鍵
それによると、16年大会で開催地に選ばれていれば、経済効果は2兆9400億円に達するとしていた。まずスタジアム整備や公式グッズの購入などに使われるお金(直接効果)。過去の海外の大会実績などを基に推計した。
「風が吹けばおけ屋がもうかる」式に、五輪特需がどう広がるかも計算する。施設の資材を作る鉄鋼メーカーなど関連産業で生産額が増える(第1次波及効果)。すると、そこで働く人の所得が伸び、買い物や飲食などの消費にまわる。その影響も考慮するわけだ(第2次波及効果)。
これらは、産業同士のつながりを示す「産業連関表」を用いて導き出す。「五輪招致の意義を説得力を持って説明するために、数字が重要なのです」。木村さんは強調する。
ユニークな例を次々発表している関西大学大学院教授の宮本勝浩さん(67)にも聞いてみた。「過去の似たような事例を参照しています」。ダルビッシュ投手の大リーグ入りの効果260億円は、人気選手が入団した際の関連グッズの売れ行きなどを参考にはじき出した。夢を持てるような試算を心がけているそうだ。
「経済損失はどう計算するのだろう」。章司は酒の飲み過ぎによる損失を4兆円と推計した鳥取大学准教授、尾崎米厚さん(50)に問い合わせた。尾崎さんは医療費のほか、アルコールが原因で亡くなった人が稼げたはずの賃金、仕事の効率低下などを合計したという。ここでも飲酒関連の調査データが使われていた。
■前提が重要
「過去の事例をみながらしっかり計算するんですね」。第一生命経済研究所の永浜利広さん(40)に意見を求めると、うなずきつつ「出てくる数字が何を示すのか、注意する必要はあります」と教えてくれた。
永浜さんが指摘したのは波及効果の特徴だ。例えば、公式Tシャツは糸、生地などの段階を経てできる。関連する産業の売上高をすべて足し上げると、糸代が生地代にも、Tシャツ代にも含まれてしまう。「恩恵を受けた産業の裾野の広さを示しますが、原材料費の重複分を除くと、一般的に半分程度になります」
重複分を除き、もうけや給与などを合わせたものを付加価値誘発額と呼ぶ。この額を都の五輪招致で計算すると、約1兆4400億円にしぼんでしまう。
実は経済効果と一口に言っても、2次波及は省いたり、誘発額を示したり、まちまちだ。事務所で報告すると所長がうなずいた。「我田引水じゃないが、計算する人の思惑が出ることもありそうだぞ」
■あくまで概算
「ほら。同じことを調べたのに正反対の結果も出ている」。所長が見せてくれたのは貿易自由化の経済効果に関する資料。農林水産省は自由化で実質国内総生産(GDP)が7.9兆円減るとした。ところが、経済産業省は自由化しないとGDPが10.5兆円減るという。章司が問い合わせると、農水省は農業と関連産業、経産省は自動車や機械など主力産業への影響だけを計算したと分かった。
撤回された滋賀県内の新幹線新駅計画では、計算手法が同じでも大きな違いが出た。県などが04年に導き出した建設関連の経済効果は6400億円だったが、06年の検証で3000億円に。最新のデータを使い、将来人口を1割弱少なく見積もったのが主因だ。
都市政策が専門の関東学院大学教授の安田八十五さん(67)に聞くと、前提をどうするかで大きな差が生まれるという。「ところが事業を正当化するため、楽観的に想定したと疑いたくなるケースもあります」
統計分析に詳しい日本大学教授の小巻泰之さん(49)にも尋ねた。小巻さんは「物事にはプラスとマイナス両面ありますが、すべて考慮して経済効果を導くことは難しい。どちらかだけを計算しがちです」と解説する。双方を見据えた計算モデルを作る方法もあるが、これも条件が異なれば結果は大きく違ってくる。
正確だったかどうか、チェックもしにくい。試算は調べたい出来事以外、すべてそのままと仮定する。実際は景気や為替などいくつもの要素が変化。しかも複雑に絡み合うため、原因と結果の関係がよく分からなくなる。「なぜ経済効果を調べるのですか」。章司の疑問に小巻さんは「目安になる数字がなければ、事業などが必要かどうか判断できませんよね」と答えた。
経済政策論が専門の法政大学教授の小峰隆夫さん(64)も判断材料としての役割を強調した。「正確とはいえないまでも、大まかな規模はつかめます。議論の出発点にできると捉えるべきでしょう」
概算でも分かれば、その事業にかかわってみようという意欲が湧くかもしれない。どこが試算しているのか。前提は何か。一つずつ検証することで、効果をより厳密に見極められる。「利点と欠点を知るためなんだ」。章司は納得した。
◇
「事務所にマッサージ機を置けば仕事の能率が上がるのでは」。章司が提案すると、所長が一言。「居眠りするマイナスの効果も見極めないとな」
<「実験」できる学問へ>研究室で各種取引を再現
「実験できない学問」。経済学はそういわれてきた。人々の生活に直結する金利の水準を、効果測定のために勝手に上下できない。
経済効果を実験で確かめるわけにもいかない。仮説の検証ができないため、有効な政策は何か、専門家の間で意見が大きく分かれることも多かった。
ただ、コンピューターなどを使いながら、一定の条件を決めて様々な取引を研究室内に再現することはできる。そこから、人々がどう行動し、どんな結果が出るのかを推し量るのが、国内外で活用が始まった「実験経済学」だ。
大阪大学の西條辰義教授は、温暖化ガスの排出量取引が有効に機能する仕組みを実験で調べた。すると、うまくいかないパターンが、実際の欧州の取引市場とそっくりだと判明した。欧州の研究グループが調べたのは、乗り捨て可能な貸自転車が無くなったり壊れたりする問題。実験から、貧しくて将来に希望が持てない人たちが自転車を壊してしまうことが分かったという。
理論の構築と検証を積み重ね、真理に迫る。自然科学の手法を経済学に応用できるようになれば、より精緻な政策が生まれてくるかもしれない。



