竹林の愚人の本棚 -181ページ目

朝日新聞記者が書けなかったアメリカの大汚点

朝日新聞記者が書けなかったアメリカの大汚点 (講談社+α新書)/近藤 康太郎


はた迷惑な「俗流プラグマティズム」
アメリカ人は、どんなに混迷が続こうが、ひとたびそれが「現実」になると、四の五の言わずに「現実」を受け止める心性がある。
これを「俗流プラグマティズム」という。 
真理や正義なるものが、現実にどう役立つのかがポイントだ。 
一方でアメリカ人は、強烈なキリスト教精神があるとも指摘され、神の意志を地上にもたらす運命を自分たちが負っていると強く自覚しているから、ことは複雑になる。
建前は真理や善を高くかかげ、やってることは現状追認の現実主義。そんなお国なのだ。
イラク戦争を始める大義だった大量破壊兵器は、いつまでたっても出てこない。
そもそもイラクは備蓄もしていなかったことが分かった。
テロリストのアルカイダとイラクを結びつける証拠はどこにもない。
確かにフセインは独裁者だったが、こんな独裁者をのさばらせたのはアメリカ自身に原因がある……。つまり、アメリカには、戦争を始める大義はなく、真理もなく、結果として、善でさえなかった。 
2004年の大統領選直前、こうした事実は、アメリカ人の前にはっきり提示されていたように思う。
「プッシュは、『サダムがいなくなったおかげで世界はより安全になった』と言っている。
一方でケリーは、『サダムが残っていても世界は安全だったかもしれない』と言っている。
では、ケリーはイラクで死んだ1,000人以上のアメリカ兵に、君らは無駄死にしたとでも言う気なのか。 
もし明日にでも戦争をやめるというなら、最後に死んだ兵士に何と説明するつもりなのだ?」 
ニューヨーク・タイムズ紙のコラムニストが書いたこのたわごとこそアメリカ俗流プラグマティズムの本領だ。 
「最後に死んだイラクの母子に、どう説明するつもりなのだ」という問いは、彼らからは一生出てこない。
まったくアメリカ人って奴は……。
俗流プラグマティズムの人と付き合う上では、こっちもそれなりの俗流処世術が求められる。 
自らそうと信じる正義、真理、善を、本当にそうあらしめたいのなら、不正や嘘、悪行の限りを尽くして、アメリカをなだめ、さとし、何としても「現実」になる前に押しとどめなければならない。

「現実」になっちゃあ、おしまいだ

幕末の毒舌家

幕末の毒舌家/野口 武彦


大谷木醇堂(おおやぎじゅんどう・1838-1897)が近世世間に知られるようになったのは、三田村鳶魚が大正5年(1916)に刊行された近世随筆集成「鼠璞十種」に「燈前一睡夢」を収録してから。
記録魔・書写魔の幕末のゴシップコラムニスト。
世を拗ね、冷眼で見、白眼視する、不遇に生きた醇堂の偏見に満ちた眼差しは、不思議なレンズの働きをして幕末における社会と人間の真実をとらえる。
特別に意地悪なアングルでしか人間を評価しないひねくれた眼の持ち主には、人間模様がまるっきり違ったかたちで見えてくる。
ヒガミは立派に一つの史観をうちたてる。
身体を動かさず、ただ評論するだけの旗本が幕末にはぞろぞろ出て、それが幕府をつぶしたようなものだが、醇堂先生はその点まったく人後に落ちなかったのである。
醇堂先生の文章はゴシップの世界では水を得た魚のようになる。
無責任な噂話にこそ裏返しのリアリティが生まれるという奇妙な筆力である。
シニカルな物の言い様だが、「現在日本のこととして、最近やたらに外交関係の不祥事が相次いでいる。
事件が報じられるたびに高級外交官の毛並みのよさが報じられた・・」と語る時、江戸っ子の筆者はどっぷりと醇堂先生に感化されてしまっている。
慶応2年(1986)12月11日に発病して疱瘡と診断された孝明天皇は嘔吐や出血など大変な苦痛の末に25日の崩御に至った。
時あたかも幕末の政争の最中、宮廷内反対勢力による毒殺説が生まれ、砒素による毒殺が言われているが、醇堂先生は思わせぶりに仄めかす。
「近来、舶載の毒剤にモルヒネ、アトロヒネありて、人々これをおそるれども、その人すでに陛下の宮中に在りて知らざるぞ、うらめしくも不着意ならずや。」斬新な見解ではと述べる段になってはもはや一体となっている。

次は野口先生の毒舌ぶりをご拝聴願いたい。

2ちゃんねる宣言

2ちゃんねる宣言 挑発するメディア/井上 トシユキ


個人がホームページをつくるのは面倒くさく、人も来ない。
ある程度人が集まっている掲示板があれば、そこに書けば他人に自分のホームページの存在を伝えられる。
情報を知りたい人がいて、情報を言いたい人がいて、そこに「2ちゃんねる」という場所があって、上手くはまった。
テレビを意識した「2ちゃんねる」は見ていれば情報がはいてくる。
しかもテレビに比べたら物凄い低いコストで特定のジャンルの情報ルートができる。
発信したい人と受けたい人がいれば済む。
システムさえつくれば、あとはランニングコストもかからない。
世の中、面白いニュースがいっぱいあるけれど、どこも取り上げないモノがある。
でも、「2ちゃんねる」で誰かが取り上げると、それがニュースになる。
一億総特派員だ。

「便所の落書き」と揶揄された匿名のインターネット掲示板。
ブログの躍進した今、その役割は過去のものとなるのか?

日本のコリアン・ワールド

日本のコリアン・ワールドが面白いほどわかる本―韓国に行くよりわくわくする (楽書ブックス)/康 煕奉


京都にも大阪や神戸ほど多くはないが在日コリアンが住んでいる。
「元祖」渡来人たちも平安時代から住んでいたのだから、その歴史は千年以上。
古都の地場産業である西陣織りや京友禅の下働きに従事し、京都駅に近い鴨川の河川敷に多く住んでいた。
昭和30年代に「古都観光に来る人たちが、真っ先に目にするのがバラッックでは」と、新幹線開通に合わせ、駅からさらに南に下った河川敷へと立ち退かされる。
その番地がない土地は今では新しい市営住宅に生まれ変わり、数こそ多くはないが評判の良い焼肉や韓国料理の店が九条河原町には固まっている。

日本人は在日コリアンをしばしば「向こうの人」と称する。
でも、そろそろ「向こう」から「こっち」にやってくる時期がきているのではないだろうか。
太古の昔から、日本列島は半島やサハリン、南西諸島から、様々な民俗がやってきて、共生することで、日本人の原型はつくりあげられてきた。
日本こそまさに「共生」の国。
その「共生」の象徴的な出来事が阪神大震災後の神戸市長田区で起こった。
日本人と在日コリアンが互助精神を大いに発揮したのだ。

メッセージ色の濃いコリアンタウンガイドブックだが、隣人を知るための良き手引き書となっている。

科学する店舗

科学する店舗/財団法人店舗システム協会


古来、商人たちはさまざまな試行錯誤を繰り返してきた。
たまたまの偶然で売れたのではなく、「仮説・実行・検証」という知的な作業を通して合理性が追求されてきた。
そういう意味で「科学」と読んでいいだろう。
ハードの「店舗」とソフトの「売り方」が絡み合って新しい価値を生み出してきた。
もはや商品の品質や価格だけでは、世界一厳しい日本の消費者には通用しない。
消費者は大量生産・大量販売を消化する気の良い対象者から、自らの判断に基づく価値基準によってしか購買行動を起こさない生活者となった。

この少々退屈な「流通という特定の産業に焦点を当てた実用専門書」の中に面白いモノが紹介されている。
均一価格販売方式~バラエティ・ストア「高島屋10銭20銭ストア」、今日の百円ストアの先駆け。

$竹林の愚人の本棚-高島屋10銭20銭ストア
高島屋の幹部が大正11(1922)年のアメリカ視察で「均一価格ストア」に関心を持ち、昭和4(1929)年頃から研究着手。
昭和5年に大阪の南海高島屋1階に、昭和6年には野田阪神と泉尾、東京の浅草雷門と大井町、京都の四条河原町に一斉開店。昭和11年には57店舗となる。
現金持ち帰り、セルフサービスで、大量販売可能な商品はメーカーへ直接発注と、極めて先駆的な店舗であったが、残念ながら戦争で中断されてしまったという。

江戸人とユートピア

江戸人とユートピア (岩波現代文庫)/日野 龍夫


荻生徂徠門下の漢詩人服部南郭(1683-1759)。
近世中期以降、身分制度の固定化のもと。
現実社会に志を得ないと不満をかこつ知識人の間に、詩文・南画・篆刻等々の趣味の世界に遊ぶ文人意識が一般的になる。
南郭はそのような生き方を実践したもっとも早い一人。
儒をもって門戸を張る能力に恵まれながら、あえて活動を詩文の分野に限定し続けた。
「神仙伝」に、壺の中に仙境が開けているという「壺中の天」という話がある。
人は、ユートピアに遊ぶ空想を解放するため、小さな空間に自己をことさら密閉してしまいたいと考える。
そこはほしいままの情緒の陶酔を許容することによって、被害者意識をいたわる世界。
そこへ出てゆくものではなく、そこへ帰るものであるから、それはまさしく壺の中にある。
壺とは母親の子宮であって、そこでは傷ついた心をいやしてくれる。
人は生きている限り虚妄から離れられない。

ウソの温泉 ホントの温泉

ウソの温泉ホントの温泉―あなたが行く温泉は大丈夫?/鵜飼 克郎


2004年7月「週刊スト」で白骨温泉の入浴剤混入をスクープした記者が、その後、調べれば調べる程本当の温泉が見当たらなくなったという調査報告書。
1948年に施行された「温泉法」によれば、「温泉」とは、地中からゆう出する温水、鉱水及び水蒸気その他のガスで、別表に掲げる温度又は物質を有するものをいう。
19項目の物質をまったく含まなくとも源泉の時点で25度以上あれば「温泉」。
25度以下でも19項目のうちひとつでも規定の量を満たせば「温泉」として認められる。
一般に100m深くなるごとに水温が2~3度ずつ上昇するといわれる日本では1000m掘ればどこでも温泉が出る可能性があるという。
一度「温泉」と認定されれば、源泉の「成分分析表」と「禁忌症」の掲示さえすれば、源泉の数十倍の水や湯を加えたり、暖めようと冷やそうと、あるいは循環して何日も使い回そうと、あくまでも天然温泉として認められる。
インチキ温泉の問題は現行の「温泉法」にある。

高いお金を出してインチキ温泉かもしれない温泉地に行くよりは素性の知れた近くのスーパー銭湯に行くのがお利口ということか。

大震災10年と震災列島

大震災10年と災害列島/塩崎賢明・西川榮一・出口俊一編


片山 善博 

鳥取県知事防災は起こって初めて検証できる。
何もやっていなくても当座は何も困らない。
だから防災はつい手抜きになる。
西部地震を受けて、現場を見れば一目瞭然、高齢者の被災者に今すべきことは住宅再建支援だとわかる。
仮設住宅は「土地は行政に地上権や所有権がなければいけない」
「一定の期限が来たら必ず撤去する」が条件。
「個人敷地に建てて、あとは勝手に使ってください」ではだめだ、と言う。
(応急仮設住宅300万、撤去費を含めると1戸当たり400万円で後に何も残らない)
高齢になって、なんとか生きがいや暮らしの支えとして存在していた生活基盤が無くなる。
75歳を過ぎて「さあ新しい地域で一からやりましょう」と言われたら、泣いちゃいますよ。
(孤独死・自殺者神戸は500人)

震災とメディア

震災とメディア―復興報道の視点/山中 茂樹


山を削り住宅開発。その土砂で人工島を造る株式会社神戸市の乱開発が被害増幅。
イギリスの住宅耐用年数は75年。わずか26年の日本で100年後の地震に備えた耐震改修を誰がする。
東京の関心事は「次の関東大震災でいかに死者をへらすか」、被災地は捨て石。
東西の温度差=焼け太り許さない?という感情。
私有財産は自己責任、そこに公費は出せないという。
巨額な義捐金が集まった。雲仙普賢岳噴煙災害1世帯当たり1,000万、北海道南西沖地震1,350万、阪神・淡路大震災ではわずか40万。そこに二重ローン、1戸平均2,170万が重くのしかかる。
直接の死者5,521人。関連死912人、そして仮設住宅での孤独死233人。
家を失い、地域のコミュニティーから分断された高齢者の孤独・独居死は今後も増えていく。
その怨念を東京に代表される「未来の被災地」に受け止めてほしい。
私たちにはこの震災のあらゆる事実を全国・全世界に発信する「被災者責任」がある。

面白いほどよくわかる自衛隊

面白いほどよくわかる自衛隊―最新装備から防衛システムまで、本当の実力を検証! (学校で教えない.../志方俊之 監修


これまで資金提供による「貢献」だけで危険な仕事をさけてきた。
1992年、国連平和協力法が成立して、自衛隊は、カンボジア、モザンビーク、東ティモール、ゴラン高原と世界各地で見事に任務を果たしている。
そして2004年イラク派遣。わが国が戦後初めてその国家意志を国際社会に表明した。
この派遣によって、自衛隊は名実ともに様変わりすることになるだろう。これまでは「国土への攻撃」=有事であった。
しかし近年では周辺事態への対策を講じることは必要不可欠になってきている。
もっとも身近で危険な国、北朝鮮が南下すれば、在留邦人と難民の保護という2つの大きな課題を抱える。
また在日米軍へのテロによって、日本国民に被害が及ぶことも懸念される。
日本にとってもう1つの脅威、中国。台湾周辺の軍事的衝突が、我が国の生命線であるシーレーンの安全を脅かされれば「周辺事態」と認定される。

自衛隊の装備品の多くは他国の軍隊が使用する兵器と比べると高価だといわれる。
90式戦車が8億円。
米陸軍の世界最強のM1A1戦車は5億円。
F-2戦闘機120億円。
お手本のF-16C戦闘機が35.8億円だから、その3倍以上。
これは自衛隊の装備が自国で開発され、生産されたという事情がある。
日本が専守防衛を守ることは、装備品の高価格化は必然となるかもしれない。

億単位目白押しの戦闘機や戦艦。高額すぎてこれが適正価格であるのか評価のしようがないが、米軍のM-16小銃が7万円なのに89式小銃は32万円という。
部品点数が多く、操作性も良くない小銃まで国産にこだわる必要があるのだろうか?
米軍の後方支援にあっても同じ小銃を使う方が良いのでは。
もっと納税者に理解されるよう価格をもオープンにしてほしいもの。