人間が生きていく場としての職場の大事さ、ということを、最近改めて感じる。


卑近な例で言えば、

不倫がおおっぴらに行われていて障害どころかプラスかも?な

広告代理店や商社やマスコミといった場所で働く人々と、

不倫が降格や出世の妨げになるような警察や銀行で働く人々とでは、

明らかに、生き方そのものが変わってくる。


朱に染まれば赤くなる、というかね。


働く、ということは、単に労働と金銭の交換、ということでは語りつくせない。


アイデンティティの形成に大きく影響するし、

ときには、その職業自体がアイデンティティの拠り所となったりする。

技能形成と同様、モラール形成にも大きな影響を与える。


そういう部分をすくいとることが、経済学にはできない、

社会学なりの労働の分析の重要な側面なのだと思う。


で、何に焦点を当てて、どうすくいとるか、ということが研究の本題なのだが、

まあそれは別途論文で。



お久しぶりです。

やっぱり三日坊主だったね・・・。(正月早々からまったく更新せず、ときはもはや三月・・・。)

あはは(乾いた笑い)。


さて、それはともかく。


近年、労働問題は様々な方面で取り上げられるHOTな話題なわけですが、

労働を提供しているのが「人間」だという前提を抜きに語られる「労働」には、

どうにも違和感がぬぐえない。


(たとえば、「この局面下では待遇はこうならざるを得ない」

「こういう人材が求められている」といったところで、

それを提供する労働力になりたい、と人々が思わなければ、どうしようもない。)


労働を語る上で、絶対に心にとどめておかねばならない、と思うのは、

そもそも、企業が求める「労働力」と、それを提供する「人間」との間には、「断絶」がある、

ということ。


よく、「労働者」や「人材」という言葉をいうけれど、そこで想定される「労働者」や「人材」は、

「こう生きたい」という意思を持ち、様々な事情を抱えている、ひとりひとりの主体ではない。


むしろ、そういった、意思や事情、すなわち、

幼児や老人といった家族、

心惑わし時間をとる恋愛や友人関係、

自己主張や好き嫌い、

などといったものは、「人材」や「労働力」には、「余分なもの」である。


でも、わたしたちは、「歓迎される理想の人材」になるために、生きているわけではない。

そういった「労働力に余分なもの」の多くこそ、「その人をその人たらしめているもの」なのであり、

それらを抜きに、人間は存在し得ない。


多くの人々の実際の職業生活というのは、「余分なものを持たない労働力になれ」という要請と、

「様々な意思や事情を抱えた人間」の欲求との間に繰り広げられる相互関係で作り上げられている。


そして、私が労働研究をしていく上で、自分なりのこだわりがあるとするなら、それは、

「(労働)主体としての人間」、すなわち、余分なものをいっぱい抱えている人間が、

どういう風に、企業からの要請を受け止め、対処しているのかを見ていきたい

ということである。


それは、つまりは、企業がどのように人々に要請を求めるのか、どこを妥協点としつつ、

要請を変化させていくのか、という分析にもつながる。


企業からの要請そのものも、「上司からの要請」「周囲の目」といった、

「人間」を通じてしか発揮されえないからである。



TVの「派遣切り」の報道を見ながら、不思議に思うのが、「切られた派遣」労働者として出てくる人のほとんどが男性だということだ。


非正規に女性が多いのは、パートが圧倒的に女性ばかりだからなのだが、派遣に限ってみても、男女比率は、女性の方が多い。(2008年で、男性59万人、女性85万人)

http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/3240.html  


もちろん、TV側にも色々な意図はあったのだと思うのだけど、その意図が、無意識に、表象のバイアスになっているのではないか。



ジェンダー問題をやっています、というと、

多くの人から、いまだ、「ああ、女性問題を扱っているのね」と言われる。


もちろん、私も、女性労働に興味を持ったことから、ジェンダー論に関わることになったひとりだけれど、

やればやるほど、「女性問題」と「男性問題」は、それを表裏一体だということを感じずにはおれない。


たとえば、女性がパートなどの低賃金労働に参入する要因には、

家計を主に支えるのが男性という事実があり(だから、多少不当に低くても「ま、いっか」と働く)、

家計が主に男性にのみ担われてしまっていることが、男性の働きすぎの要因を作っている。


ブログのコメントなどを見ていると、

「女側の意見か」「男側の意見か」にとらわれすぎてしまう傾向があるが、

そういう視点では、もはやジェンダーや性差といった問題には十分な分析ができない。


男女の関係は、相互補完的というか、共犯関係にあり、

労働問題に限れば、どちらかというと、お互いの足を引っ張る形で機能していると思う。


そのことを、ちゃんと研究に組み込んで生きたいな~と思う。


学問で大事なのは、どうして「その問題」がそのようなかたちになっているかを知ることである。


どういう背景があって、

どういう論理のもとに、

どういう力学がからみあって、

いま、そういうかたちになっているのか。


特に大きな大事な問題ほど、それは複雑なものだから、

その問題をときほぐすことは、本当に大事。


でも、それと同じくらい大事なのは、

そのようにして解明された「今ある論理」が、今そうだからといって、

「それでいい論理」であるかはまた別、ということを、

ちゃんと心にもち続けていることだと思う。


具体例で言えば、

「どうして、トイレ掃除の仕事は(誰もやりたがらないのに)安いのか?」

という仕組みを理解することと、

「それでいいのか?」ということは別、ということ。


理解したからといって、受け入れる必要はない。

けれど、理解することなしには、何も始まらない。

理解は絶対に大事だ。


このことは、ちゃんと心に留めておきたいと思う。



あけましておめでとうございます。


今年の抱負、と申しましても、昨年と変わらず。


最も大きな目標は、投稿論文を書く、こと。


第二の目標は、博論の構想を立てること。


それに加えて、第三に、このブログを1行でいいから、毎日更新すること、を入れておきたいと思います。

(少なくとも2~3日中に遡って更新する)


これは、机に向かって、「書く」という行為を、習慣化するためです。



思えば、メモなどに書いていたことをあとから読み返して、

新たな気付きや着想を得るということが、結構あったりするし、何かと有用だと思います。



なので、おつきあいいただけると嬉しいです。

狼少女、返上するぞ!頑張れ、私!!(サボってたら叱って!!)

というわけで、本年もどうぞよろしくお願いいたします。


NHKスペシャルの非正規雇用特集(再放送)を見ていると、、、

あれ、神野先生が出ている。


神野先生は私の学部時代の恩師で、

修士卒業後、博士入学までの一時期、

私を秘書として雇ってくださった、まさに大恩あるお方。


セーフティネットの必要性を訴える神野先生を見ながら、

「あの時、雇ってくれたのは、哀れなゼミ生にセーフティネットを張ってくれたのね・・・」

と、言うだけじゃなくて実際行動で示してくれた先生に、改めて深く尊敬と感謝の念を抱く。


先生、ありがとうございました!!


内容に関しては、つづく。


「労働とジェンダー」が、私の学究生活における専門なのですが、

専門についてあまり軽々しいことは書けないという思いから、

ブログの中では、労働問題やジェンダー問題について、あんまり書いていなかったと思います。


とはいえ、景気の悪化の中で、労働の問題がますます耳目を引く話題となってきている中、

激動する雇用環境についてのニュース的な話題や、まだ自分の中で答えの出ていない問題についても、

もう少し、感じたことや考えたことを、カジュアルに書いていきたいな、と思い、

このブログを別立てではじめることにしました。


基本的には、ちょっとまじめな話題が中心になるかと思いますが、おつきあい頂ければ。


コメントもぜひ、どしどし頂ければと思います。