何気なく使う言葉ですが、最近、気になっており、
違いを改めて調べてみました。
 

●「大事」
重大な事柄、価値あるものとして、重要で欠くことのできない


●「大切」
もっとも必要である、丁寧に扱って、大事にする


らしいです。

 

意味だとまだ、ピンときませんが。。。。

では、人に例えると


●「大事な人」
自分にとって必要と考えて、しっかりと扱うさま
価値ある人として、大切に扱うような人
重要で欠くことのできない人。ある物事の存否にかかわるような人


●「大切な人」
心から必要としていて、慎重に注意深く扱うさま
もっとも必要であり、重んじられる人。重要な人
丁寧に扱って、大事にしている人


少し違いがわかってきましたが、比較すると用い方として


「大事な人」は仕事上での重要性を表す場合に用いられることが多く、
「大事なお客さま」というような用法
 

「大切な人」は「もっとも」必要とあるので、「大事」よりもより重要度が高い
らしいです。
「大切な人」の方が、さらにより主観的・感情的な要素が高い意味あいが込められます。
 

こう比較すると

「大切」には「個人的な愛情や思い入れが含まれること」


「大事」は「気持ちは入っていないが重要なこと」


とも言えます。

 

 

さて、少し話をかえると
哲学者のアラン・ド・ボトンは「仕事は愛よりはるかに簡単である」と言っています。

「誰かにとって大切な人間になる」もしくは「自分にとって大切な人間を見つける」ということは、自分の約半世紀の人生を振り返っても簡単そうで、実は、難しいと本当に思います。

もしかするとビジネスよりもはるかに難しいことかもしれません。


「自分が誰かにとって大切な人となれているか?そう思ってくれる人が存在するのか?」または、
本当に「自分にとって大切な人間を見つける」ことができたのか?

 

 

 

 

赤ちゃんや子供の頃は、純粋に「大切」という心をもって人も、ものも見ていたように思います。
 

しかし、人間は成長するにつれ、「大事」という要素で人やものを見ていくようになっているよう思えます。

それが人の「成長」の証、経験を積む、見識がひろがるということでもあるかもしれませんが。


自我がでてきて、物事がわかってきて、自分のやりたいことがでてきて、そのために必要なこと=「大事な人、こと、もの」ととらえ生きていく。
しかし、そこには、上記に書いているように中心は、自分にとってその目的や自我を達成するためにという意識が働いているように思います。
若いときは、「大事」ということを意識して、がむしゃらにしていくことは人の成長、経験においては必要なこと。


しかし、歳を重ねていくうちに、だんだんと残りの時間を意識してきたり、自分の歩んできたことを確立と意識するようになってくると、

「大事」なことよりも「大切」ということを改めて意識してくるのではと、

自分がそういう意識をもつ年齢になり、改めて思います。
それは、子供のころに純粋におもっていた
個人的な愛情や思い入れが含まれ、心から必要とする

「大切な人、もの」へ。。。。。。


人の時間=命には限りがあります。
だからこそ、時間を意識する年齢になると、

今一度「大切」ということを意識するのではと思います。

 

人は、歳をとるにつれて、その年齢、年齢で変化するものだと改めて。

ただ、最後には、また、命を授かったとき、子供のころと同じように
「大切」という心が芽生えてくる。

 

この変化や重要性に気づけるか?

 

自分の時間をしっかりと
「大切なもの、人」へ使っていく、選択していくことが重要であり、
後悔ない人生をおくるように最近思ってきています。

 

「大切」は、大人になると意識しないと、どうしても
自我や私利私欲、目標を達成するために必要なことという
「大事」という若いときと同じ価値を意識を持ち続けてしまいます。


何が「大事で?」
何が「大切か?」

 

しっかりとそのことを見極め、選択していくこと、


そして、

「自分が人から大切に思われる人になる」
「自分にとって本当に大切な人を見つける」

 

そういう人と限られた時間を過ごす、使っていくことが
人の使命(命の使い方)の一つであり、

最後に満足する心をもてるような気が最近しています。