1985年のプラザ合意後、政府は公定歩合を引き下げました。これがバブル経済の始まりといわれています。絶頂期の1989年12月29日、日経平均株価は終値で3万8915円を記録し、誰もが1990年以降の拡大を疑いませんでした。

 

 

■バブル時代とはどんな時代だったのか

当時、私は学生でしたが、銀行に就職したOBに「賞与が立つ」という話をされたことがあります。これは「賞与が現金支給されるので、封筒が立つ」という意味です。大手不動産会社A社の入社案内の表紙は、パルテノン宮殿でした。ページをめくると「100億円を動かす男」として新入社員が紹介されていました(仕事は土地転がしですが)。

 

映画やドラマでもバブル時代を描いたシーンが多くありました。ある映画でタクシーを停める際に万札を振って停めるシーンがありますが、あれは間違いです。最も威力を発揮したのはタクシーチケットでした。特に個人タクシーはどのタクシー会社でも例外なく利用できたので大いに重宝されました。就活の選考でも、タクシーチケットが配布されました。

 

ほかに間違った描写としては、「ジュリアナ東京」(動画を視聴ください)があります。バブル経済の場面になるとジュリアナ東京の映像とテクノハウスがかかることが多いですが、OPENは1991年5月ですからバブル崩壊後です。

動画の出典はDJ Ando情報局(YouTube)

 

大学サークル、ディスコパーティーは全盛期でした。一年中、渋谷や六本木にあったディスコでのダンパ(ダンスパーティーの略。いまは死語)が乱立していました。

  

TDL(東京ディズニーランド)を貸切って、学生が数万人集まることもありました。広告代理店や有名企業がスポンサーに付きますから景品も多様です。目録のみの海外旅行、海外から自費で運ばなければいけない外車、一般道を走れない自転車、絶対に外れない知恵の輪など盛りだくさんでした。

 

なお、「バブル崩壊」は、ある瞬間に発生した現象ではありません。「バブル崩壊=体感」ができたわけではありません。誰もが、バブル崩壊と気がつかず、数年間をかけて生じてきた社会現象です。しかも、バブル崩壊のその頃から、日本は高齢化社会に突入します。サラリーマンの賃金も2002年を境に下がり始めます。

 

部下は上司に従うべきか

私が社会人に成り立ての頃にはバブル世代という言葉が一般的ではなく、上の世代と同期されて「新人類」と称されていました。

 

そんな40代のイケイケ世代の管理職は、いまの冷静な反応の鈍い草食世代の若者に戸惑っているわけです。「覇気がない」「元気が無い」などと揶揄されます。

 

我々世代も、上からは「ツカミどころがない」「常識知らず」などと言われました。この世代は、スマホもインターネットも無い時代。全てがリアルでした。

 

会社も簡単には休むことができません。熱があっても38度くらいであれば出社します。会社に出社してどうしても体調が悪い場合は、医師の診断を受けてようやく早退ができました。

 

風邪を治す期間の猶予は与えられませんから、翌日は平常出勤です。翌日までに治っていなければ「あいつはやる気がない!」とマイナス評価を受けてしまいます。

 

残業で遅くまで残っているのも当たり前でした。仕事があるとか無いとか、効率性がどうとかの問題ではなく、上司より先に帰ることができないのです。上司が先に帰ればよし、これから一杯いくか?と言われたら付き合うのが当然でした。

 

このような風潮の多くには間違ったものが多いことも事実です。しかし、バブル世代は、いまの若者がLineやメールで「今日、欠席します」「遅刻します」と簡単な連絡で済ますことの軽さに嫌悪感をいだくのでしょう。

 

いまの若者も、上司がどのような時代を生きてきたのか知らなくてはいけないと思います。その作業をしない限り、バブル世代と草食世代の意識の格差が無くなることはありません。

 

バブル世代も、いまの草食世代の性質を理解しなくてはいけません。しかし、上司が部下に迎合することは難しいので部下から歩みよるしかないと思われます。

 

本来は、双方が世代間の認識のズレを理解するところからはじめるのが理想的なんですけどね。なにが一番正しいのでしょうか?

 


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尾藤克之(BITO Katsuyuki)
コラムニスト、著述家、明治大学客員研究員