ここで気になることがあります。本来の意味を知って、正しく使っていても、間違った意味が常識として通用している場合はどうでしょうか?
正しい使い方をしているのに、「間違っている」と思われてしまうかもしれません。
たとえば、「適当」という言葉。
本来は「きっちり当てはまる」という意味ですが、今では「いい加減」という正反対の意味に使われる場合がほとんどです。
ほかには「鳥瞰」と「俯瞰」があります。
どちらも高いところから見下ろすという意味ですが、2D(平面)であれば鳥瞰、3D(立体)の場合は俯瞰を使います。
ですから、会社の組織図、建物の見取り図など平面で表現できるものを見る場合は、「鳥瞰する」が正しく、「俯瞰する」は本来の意味ではありません。
でも、平面のものを見る場合でも、鳥瞰ではなく俯瞰を使っている場合がほとんどです。
「適当」に代表されるように、本来の意味とは違っているけれど、世の中で広く使われている場合は、もはや、言葉の意味が変化していると言ってもいいかもしれません。
ただ、間違えているとわかっているのに、あえて使う必要はないのですが、「正しさ」に固執しすぎるのもスマートさに欠けますね。
こういう場合、私ならその言葉を使わず、別の言い方を考えます。
大事なのは、本来の意味をきちんと知っておくこと、そして、世間ではどう使われているかを把握し、使い方にバランス感覚を発揮することです。
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尾藤克之(BITO Katsuyuki)
コラムニスト、著述家、明治大学客員研究員