議員秘書は常に「自分が責任を負う」覚悟を持っているものです。「自分が責任を負う」という意識がなければ、問題の大きさや影響度を正しく把握することができないからです。

 

自分以外の誰かが防波堤になってくれるという甘い気持ちで議員を守ることはできないでしょう。甘えを持つことは自らの判断力を曇らせる危険性もあります。


社内で、「上司に責任を押し付けられた」「会社は理不尽だ」と嘆いても誰も助けれはくれません。「こんなはずじゃなかったのに」とならないためにも、「自分が責任を負う」という意思が必要になります。とはいえ、決して簡単なことではありません。


2012年12月に実施された、第四六回衆議院議員総選挙で当時与党の民主党が大敗しました。8人の現役閣僚が落選する歴史的な大敗です。

 

前の衆議院議員選挙では民主党が大勝をして政権交代を実現しました。公約の成果が見られず政治が停滞したことから支持率が急落し、選挙での大敗を引き起こす結果となりました。


選挙の直後、民主党内では、野田佳彦総理(当時)や党の責任だとする批判が目立ちました。これらの発言は責任を転嫁していきます。

 

そのような状況で、岡田克也副総理(当時)が「選挙は、最終的には自分の責任。執行部や他人の責任にするところから改めないと、この党は再生できない」と発言します。

 

選挙惨敗の責任を即座に取った野田総理や岡田副総理の発言は正論であって、解散時期を理由に落選議員が責任転嫁するような態度を取ることは国会議員として見苦しいものです。同じ民主党の中でも実力者といわれている人たちは当選しています。


そのように他人のせいにする人は、そもそも当選したのも「執行部のおかげ」「自分の力ではない」ことを露呈しているようなものです。


人は何か良くないことが起きると言い訳をします。責任を負わされたときには「私はしかたなく責任を負わされました」「理不尽だ」とアピールをします。しかし、言い訳をすることは見苦しいとは思いませんか。

 

2016年、豊田真由子元議員が週刊新潮で秘書への暴言や暴行について報じられました。このときに、秘書が議員との会話を録音したことが明らかになりましたが、議員との会話を録音してメディアに公開する時点で違和感を覚えました。

 

結果的に元秘書は得をしたのでしょうか。私の知る限り永田町には戻っていません。秘書として、自身のリスクヘッジに過失があったと言わざるを得ないからです。

 


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尾藤克之(BITO Katsuyuki)
コラムニスト、明治大学客員研究員

16冊目の著書。「頭がいい人の読書術」(すばる舎)を上梓しました。