政治家の責任の取り方は一般的な責任の取り方とは異なるかもしれません。
 

例えば選挙の場合、獲得議席数によって勝敗は分かれます。勝敗ラインをクリアできずに負けることになれば、執行部は責任を取って総退陣となります。

 

このような場合、必要以上には相手を追い詰めたりしません。必要以上の追及は禍根を残すことを政治家は知っているからです。


政治動向が大きく変わる政局になると、今までは敵対していた同士が歩調を合わせるようになったり、政党同士が合併することがあります。これはお互いの利益を考えての行動ですが、必要以上の禍根を残していないからできるとも言えるわけです。

 

人は勝者になることもあれば敗者になるときもあります。勝者、敗者が決定した時点で優劣は明らかですから、むしろ相手を労うくらいの方が相手に好感を持たれます。

 

人は他人の失敗や過ちにはとても敏感です。ところが自分の失敗や過ちは認めたくないと思うものです。そのため、敗者への対峙方法でその後の流れが変わってくるのです。

 


中には、トップが強権的なケースがあります。信賞必罰、役割と責任の明確化というような大義名分を好む経営者です。ところが、責任論をかざしても議論が建設的になることはありません。むしろモチベーションが下がって組織に壊滅的なダメージを与えかねません。


孫子の兵法には次のような記述があります。

 

「敵を包囲したら、必ず逃げ道を開けてやり、窮地に追い込んだら、それ以上、攻撃を仕掛けてはならない」。

 

これは、追い詰めすぎると相手が復讐の念をたぎらせるリスクについて説明しているのです。屈服させるのではなく落としどころを考えておく必要があります。このようなとき、人は客観視できなくなっている可能性があります。自分が正しいと思っているので状況を的確に判断できず、追い詰めていることに気付いていないのです。


ある主題について、異なる立場に分かれて議論するディベートという討論法があります。ひところブームになりましたが、感情的な対立を引き起こすのでビジネスの場面で使用すると少々面倒なことになります。

 

私は、ジャーナリストとして時事問題に関する記事を投稿することがあります。時には持論を展開し、時には異なる意見の論者を批判することもあります。
 

相手を論破して、理屈で屈服させることに快感を覚えていた時期が私にもありました。一見、理論的に正しく見えても、論破されたほうはシャレになりません。

ディベートは外資系コンサルティング会社在籍時に学びました。米国における討議はすべてディベートが基本です。しかし、ここは日本です。アメリカの大統領選挙の公開討論会ではありませんから、白黒はっきりさせるような主張は日本には向いていないと言えるでしょう。


目指すべきは、穏やかに意見を交わし、問題点を明確にして、お互いにアイデアを出し合うことです。多くのビジネスパーソンは、そんな会議や交渉を心掛けることが理想です。


議論が白熱すると、問題の主題から脱線することがあります。水掛け論というものです。

 

「お前の話し方が気に入らない」「だからお前は女房に逃げられるんだよ」「お前が出世できない理由がわかった気がするよ」。

 

人格批判にまで発展するともう収まりが付きません。
 

こうならないために必要なものがあります。それはホワイトボードです。議論の整理に役立つのみならず、感情的になる空気を抑える効果があります。

 

ディベートの手法は口述が基本ですが、これをホワイトボードに書くことで、感情の高まりを抑えることができるのです。ホワイトボードに、「だからお前は女房に逃げられるんだよ」みたいな、人格否定を書くことはできませんから。

 


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尾藤克之(BITO Katsuyuki)
コラムニスト、明治大学客員研究員

16冊目の著書。「頭がいい人の読書術」(すばる舎)を上梓しました。