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東京五輪・パラリンピック組織委員会の後任会長に橋本聖子氏が就任しました。ドタバタ感のある、閉鎖した中での決定でした。橋本氏は役割を果たすことができるのでしょうか。  森喜朗前会長の発言が適切でなかったことは間違いありません。しかし、重大なことを忘れてはいないかと筆者は危惧します。「AERA」2021年2月22日増大号に、筆者の取材記事が掲載されています。その内容なども踏まえながら本稿を構成します。

 

■森喜朗氏の功績と人脈

2013年9月7日、国際オリンピック委員会(IOC)総会で東京五輪開催が決定しました。総会前の、サンクトペテルブルグで開かれたG20サミットで、プーチン大統領の支持や、韓国の朴槿恵大統領(当時)を取り込んだのは森氏と言われています。  

 

事実、東京五輪開催が決まった後、官邸に「日本が勝ってよかった」と電報を打ってきたのはプーチン大統領しかいなかったと森氏の著書「日本政治のウラのウラ証言・政界50年」(講談社)には書かれています。当時から、ロシアにパイプがあるのは森氏しかいないというのは衆目の一致するところでした。  

 

ここで、経歴について振り返ってみます。政界デビューは1969年、32歳のときです。当時の石川1区から第32回衆議院選挙に立候補。当初は泡沫(ほうまつ)候補という評価で、自民党から公認を得ることはできませんでした。ところが、知見と行動力を駆使した選挙戦を展開し、見事にトップ当選を果たします。  

 

地方議会議員を経験したことのない新人が衆議院選挙に挑み、当選するのは異例のことです。当時、自民党幹事長だった田中角栄は即座に祝電を打ち、懐柔しようと自民党本部に呼びつけます。その場で、ねぎらいの言葉をかけ、金の入った封筒を渡そうとしますが森氏は受け取りません。  

 

逆に「金の趣旨」について質問したことから、田中は激怒します。結果的に、森氏が入ったのは福田派でした。その後、反田中派、反金権政治を貫きます。  

 

森氏は事あるごとにマスコミからたたかれていますが、日本には数少ない政治哲学を持った政治家で、人間関係構築にたけていると評価する政治評論家も大勢います。野党にも人脈があり、自社さきがけ政権の発足時、村山富市氏をかつごうと裏でうまくネゴシエーションをしていたのも森氏です。  

 

当時、羽田内閣が倒れ、自民党が1年足らずで政権に返り咲きました。首相指名を巡り、森氏は社会党右派の山口鶴男氏からの「社会党左派を取り込めばうまくいく」という助言に基づき調整を進めています。  

 

民主党政権時代には、当時の野田佳彦首相が森氏を頼り、ロシアへ異例の「野党特使」を送ろうとしたほどです。脇が甘く失言もあるようにも見えますが、逆に言えば、歯に衣(きぬ)着せぬ物言いをする政治家とも言えるでしょう。

 

続きは、Yahoo!ニュース(2021.2.20)で読むことができます。リンク切れの場合は元記事オトナンサー(配信元)をお読みください。

 


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