徘徊する電子怪獣 -7ページ目

徘徊する電子怪獣

ネット世界を徘徊する電子怪獣です。
いろんなものに噛み付きます。

http://sankei.jp.msn.com/west/west_sports/news/130815/wsp13081507000000-n1.htm

以下引用

【出崎敦史のスポーツ言いたい放題】

高校野球の何が悪いというのか?…「暑い夏」と「甲子園」は欠かせぬ“舞台装置”である
2013.8.15 07:00
 青い空、白い雲。照りつける夏の日差し。日本の夏は甲子園が似合う。第95回全国高校野球選手権大会。汗がキラキラと輝き、暑さも忘れる。グラウンドの選手たちに青春を重ねる幸福な時間。ひたむきに、純粋に。忘れていた情熱がよみがえる。


 2013年7月19日付産経新聞朝刊オピニオン面「ネットろんだん」は、そんな高校野球への思い入れを、完全に否定した。

 猛暑のため各地の地方大会で観客や選手に熱中症が増え「この猛暑に、なぜ試合を」「死人が出るまで同じことが続きそう」と批判が相次ぎ、短文投稿サイト「ツイッター」には「開催時期をずらすべきだ」「ドームでやった方がいい」という「改革を提案する声」があり、背景には「高校球児のさわやか・ひたむき物語」への冷めた視線があると書いている。

 ネットは、夏の高校野球に否定的な意見で「白熱」している。


 ネットユーザーが言いたいこともわかる。しかし、あまりにものの見方が表面的すぎないか。

「暑い夏」と「甲子園」は、高校野球の舞台装置として絶対に欠かせない。選手はみんな好きで野球をやっている。好きだから暑い日も寒い日も、甲子園を夢見て必死に球を追っている。暑いから試合はいやだ、という発想はありえない。

 学生時代、炎天下で球を追っていた。暑くて苦しくて辞めたい、と思ったことが何度もあった。でも、そこに大事な試合がある以上、逃げるわけにはいかなかった。絶対に暑さや疲れを言い訳にしない。そういう意地みたいなものが、支えになっていた。これが精神力というものか、と思った。

 毎日暑い中で練習していると、不思議と体も慣れてくる。それに真夏は練習よりも試合の方が楽だった。練習は何時間も休めないし水を飲むのも禁止。試合はイニングの合間にベンチで休めるし、水分も十分補給できる。


 観客が高校野球の「改革」を主張するのもおかしい。高校野球は基本的に「見せるためのスポーツ」ではない。高校のクラブ活動の大会を見物人が「暑いからもっと涼しいときにやれ」といっても、誰も相手にしないのではないか。

 連日、甲子園を埋める大観衆も暑さは承知の上で、必死にプレーする高校球児たちと同じ空気を共有するために集まっている。

多くの時間や紙面を割いて高校野球を取り上げるマスコミにもネット批判の矛先が向いた。

 ツイッターには「高校野球は結局(主催の)朝日新聞や(長時間放送する)NHKがつくり上げたもの」「メディアも高野連も、高校野球は球児が酷使されるのをドラマとしてあがめ、成り立っている」と高校野球報道批判がずらりとある。


 書く側から言わせてもらう。

 高校野球の記事が多いのは「読みたい」という読者のニーズが多いから。選手たちは高校生活の3年間のすべてをかけて甲子園を目指して野球に取り組んでいる。チームメートや指導者、家族、友達…。そこで生まれる周囲の人との絆のストーリーは、誰もが身近なドラマとして共感できる。だから高校野球は日本人の心に響く。

 実際に取材をしていると、野球に青春のすべてをぶつける高校生がみんなまぶしく見えてくる。「こいつら、すごいな」。そんな思いをずっと紙面に書いてきた。

 記事の最後は「高校野球をめぐる直言が目立つのは“見る側”にメディアに頼らない成熟した目が育っていることの証左なのかもしれない」と結んでいる。

 冗談じゃない。成熟した目が育った結果が「夏の高校野球の否定」では、真剣に野球に取り組んでいる選手が救われない。ネットの批判とは関係なく、高校野球は今も昔も変わらずに続く。それでいいと思う。

引用終わり  (赤字強調は引用者による)

 
 この記者(出崎敦史)の主張することを一言で書けば、

「俺の商売の邪魔をするな」

ということでしょう。(文部科学省からの天下り官僚が牛耳る)高野連とそれを煽るマスコミは「純真な高校球児たちの汗と感動のドラマ」という商品で、お金儲けをしているわけです。

 もちろん、お金儲けが悪いと単純に主張するつもりはありません。お金、欲しいですよね。

 しかし、この高校野球ビジネスの最大の問題点は、はしなくも出崎が書いたように、選手の健康を無視したデタラメが商品としての価値を上昇させていることです。高校野球を観戦する人たちのサディスティックな喜びに、まだ十代の若い選手たちが奉仕させられている光景は、外部の人からは「異常」とも思えるのですが、彼ら「高校野球教信者」はそのことに全く気づいていません。

 高校サッカーでも、真夏の日中に試合をすることが、ないわけではありません。しかし、試合中に必ず何度か給水のための中断があります。それは審判も、指導者も、給水の重要性を理解しており、また、理解しているからこそ、指導者、審判としての「ライセンス」を取得できているわけです。高校サッカー連盟は日本サッカー協会の下部組織で、将来の日本代表選手を育成するための組織ですから、選手の健康を考えるのは当然のことです。

 翻って、高校野球はどうでしょうか。

 そもそも高野連には、上部組織がありません。日本の野球競技を統括する「日本野球協会」なんてそもそも存在しませんし、高野連は、高体連にさえ加盟していません。つまり高校生の野球で客を呼んで、お金をもうけるためだけの組織なのです。選手を育成する必要もないし、選手の健康に責任を取る動機もないわけです。マウンド上の投手が、試合中に水を飲んでるのを見たことがありますか。

 当然、「指導者ライセンス」なんて制度もないから、スポーツ生理学も学ばず、フィジカルトレーニング理論も知らない、ただの「筋肉バカ」が「根性論」を振り回して選手を酷使することが当たり前のように行われるわけです。野球の指導者ぐらいのものでしょう、今時ウサギ跳びなんてやらせるのは。高校野球には、現場の暴走を食い止める「歯止め」が全く存在しないのです。

 さらに呆れたことに、先日は緊急地震警報が発報されたにもかかわらず、客や選手の安全を確保しようともせず、平然と試合を続行していました。アホもここに極まれり、です。

 このような「非常識」に悪乗りして商売する高野連やマスコミに非難が起こるのは当然で、汗がキラキラだの、ひたむきだのといった美辞麗句で飾ったところで、ひと皮剥けばそこには「お金がキラキラ」していることを常識人は見抜いています。出崎サン、「見方が表面的」なのは、あなたですよ。

 ここまで言っても高校野球を見たい、と思う人はいるでしょう。需要があるなら仕方がありません。高野連の職員もメシ食わなきゃなりませんしね。出崎サンもお金稼がなきゃならんでしょうし。

 そこで、提案。高校野球の地上波での中継を禁止して、CS放送でR15指定とし、18歳以下が見るときは、必ず保護者と一緒に観戦するよう義務付ける。試合開始前には画面上に、ここで行われていることは健康上極めて有害で、時には死に至る場合があると表示した上で、それでも見ますか?との質問に「はい」とボタンを押したものだけが見るようにすべきです。

 今一度言います。

 高校野球は、天下り組織高野連とマスコミが選手を酷使して暴利を貪る反教育的イベントです。

 それでもあなたは「高校野球」を見ますか?
以下引用

おくあき まさお ‏@tuigeki
靖国参拝は保守的人士の、護憲や反戦派に対する示威行為になっている。言動をみているとケンカ腰だ。英霊の御霊を慰めるなんてことは口実で、自分たちの政治目的として参拝しているようにみえる。御霊を慰めるならもっと静かにやる方法があるだろう。マスコミも現象面でなく一枚めくった報じ方をすべき

引用おわり

 この、「オットセイのハーレム」で息巻く自称ジャーナリスト氏は、いずれどこかでぶっ叩かなくてはならないのですが、それはさておき。

 靖国神社参拝で英霊の御霊を慰めることは、実は目的ではなく、最も大事なことは、極めて現代の問題であるということです。

 私たちは、民主党の歴代三総理、鳩山由紀夫、菅直人、野田佳彦が靖国神社に近寄ることもなく、御霊にうしろ足で砂をかけるような振る舞いを目にしてきました。かつて戦場で散った、靖国に祀られる英霊たちは、国民は、戦後、自分たちに会いに靖国神社に来てくれると、戦場で倒れながら思ったはずです。にもかかわらず、です。

 さて、それ(民主党の三首相の振る舞い)を見た自衛官たちは、どう思うでしょうか。

 靖国の英霊を「侵略者」と罵り、かつての敵国に媚び、ヘツラう現代の政治家たちの変心ぶりを見て、もし、自分たちが彼らの命令で戦って負けたときの、自分たちに対する掌を返すような変節は容易に想像出来ます。

そんな状況下で自衛官が後の憂いなく戦うことが出来るでしょうか。首相の参拝は祖国のために命を懸ける全ての人たちのために行われるのであって、それを「政治目的」などと穿った見方をする人は、そもそも自身も靖国神社に参拝するつもりがないのでしょう。

 国のために戦う軍人、自衛官は、英雄である。

このメッセージを全ての国民に伝えるために、首相は靖国神社に参拝するのです。



http://www.asahi.com/special/news/articles/OSK201308060003.html

以下引用

(前略)
無差別に罪もない多くの市民の命を奪い、人々の人生をも一変させ、また、終生にわたり心身を苛(さいな)み続ける原爆は、非人道兵器の極みであり「絶対悪」です。原爆の地獄を知る被爆者は、その「絶対悪」に挑んできています。
(以下略)

2013年8月6日

広島市長 松井一実

引用おわり

いやはや、凄い発言です。「暴言」と言ってもいいでしょう。ご自分が何を仰っているのか、分かっているのでしょうか。

「原爆は絶対悪」と言い切ってしまった以上、核兵器を廃絶するための全ての行為が、相対的に正当化されてしまいます。
核武装国家への武力行使はもちろん、核開発国家へ資金移動する者からの財産没収、核関連物資を輸出する企業への解散命令等々。しかも、これらの権力行使を法手続きを踏むことなく「強制執行」出来てしまうわけです。

まさしくこれは「全権委任」された、ナチスそのものです。麻生副総理のいわゆる「ナチス発言」をあれほど批判したメディア、文化人らが、この広島市長の「大暴言」に沈黙しているのは、到底理解できません。

この国は「反核平和」というファシズムに支配された、恐ろしい国家なのですね。
こりゃ、戦前の大日本帝国のほうが、マシですわ。

以下引用

橋下大阪市長:市立大の学長選、廃止の意向表明
毎日新聞 2013年08月09日 12時33分(最終更新 08月09日 16時50分)

 橋下徹大阪市長は9日、大阪市立大の学長を教職員らの投票などで選ぶ制度を廃止する意向を表明した。今後は橋下市長の意向を反映させた選考会議で選定する方針。市役所で記者団に明らかにした。

 橋下市長は「僕の意見を反映させる。何の責任もないメンバーが1票を投じるなんてまかりならない。選挙で選ばれた市長が任命するのが民主主義だ」と話した。

 市立大によると、現在は、全教職員が学長候補者を投票し、辞退者を除く候補者から、常勤教員らが2次投票。その結果を考慮し、大学幹部や有識者でつくる理事長選考会議が決定する。

 市立大は「大学の自治を重視し、教職員の意向を反映できる仕組みにしている」と話し、国立大の多くが同様の制度を導入しているという。現在の西沢良記学長の任期は今年度末までで、9月ごろから投票が行われる予定だったが、見直しを検討している。

引用おわり

学長選挙とは・・・トホホ

いったいどこの世界に、部下が上司を選ぶ組織があるんですか。いや、教職員が学長を選ぶのなら、それは学長が教職員の下僕に成り下がることを意味します。それで大学の秩序が保たれるとでも思っているのでしょうか。

教師と言う人種は、この世に生まれて、学校に入学し、学校を卒業して、学校に就職して、学校以外の社会を知らない浮世離れした非常識な人たちなのですね。民主主義なんてつまらないものに至高の価値があると教わって、純粋培養された、救いようのない人々の吹き溜まりが「学校」なのかも知れません。

インターンで民間企業に出向してみたらいかがですか。そこで見たもの、経験したものが、「世間の常識」です。死ぬまでに一度「社会人」を経験しても損はないと思いますよ。

わたくし、かんちがいしておりました、はい。

「住宅密集地にある普天間基地にオスプレイが来る!たいへんだ!事故が起きたらどうする?!」

てっきり、あの普天間で演習をするのかと思っていたら、キャンプ・ハンセンという、広大な空き地で訓練してたのですね。すっかり騙されていましたよ。

そもそも私は、国民には国防に参加する義務があると思っています。しかし、現代の戦争は高度な技術と専門知識が必要なため、一般国民に対する徴兵はないといわれています。

それならせめて、軍事訓練、演習の地元受け入れぐらいは国民の義務とすべきではないでしょうか。

「事故が起きたら一般市民に犠牲者が出るぞ!」

と、非難されるかもしれませんが、仰るとおり。何せ「軍事訓練」です。死とは常に背中合わせですから。しかし、それを受け入れることが、私が主張するところの「国民に課されるべき国防の義務」だと思うのです。

日々国防のために鍛錬する兵士、自衛官は毎日死と隣り合わせであるわけです。逃げることなど出来ません。それに比べれば一般国民の事故に巻き込まれる確率など、ほんの僅かなものでしょう。その程度の「僅かな危険」すら受け入れられないと言うのなら、国民の国防意識を高めるためにも、「兵役の義務」を課することも考えなければなりません。

私は大阪府民なのですが、橋下徹大阪市長が「オスプレイ訓練の受け入れ」検討を表明したとき、両手両足を挙げて賛成しましたよ。八尾空港は受け入れ無理だそうですが、それなら伊丹空港を当初の予定通りさっさと関空に統合して、米軍基地にすればいいのです。

そろそろ、皆さんも国防への参加について、真剣に考えてみませんか?