以下引用
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/131022/trl13102213480002-n1.htm
裁判員裁判の死刑破棄2件、遺族ら失望 「民意の法廷 なぜ否定」
2013.10.22 13:48
東京高裁で今年6月と10月、裁判員裁判が言い渡した1審の死刑判決を破棄し、無期懲役に減刑する判決が言い渡された。2つの判決を下したのは同じ裁判長で、過去の判例を重視するなどして減刑の判断を下した。「民意を取り入れて変わったはずの司法が、市民も加わった判断をなぜ否定するのか」-。遺族らの失望は深い。
「なぜ刑を軽くするのか…」。平成21年、千葉県松戸市で竪山辰美被告(52)によって殺害された荻野友花里さん=当時(21)、千葉大4年=の父、卓(たかし)さん(64)と母、美奈子さん(60)は、兵庫県稲美町の自宅で苦悶(くもん)の表情を浮かべた。
竪山被告は友花里さん宅に侵入し、現金やキャッシュカードを奪った後に殺害、翌日に放火した。
千葉地裁での裁判員裁判には卓さんや美奈子さんも被害者参加。殺害された被害者が1人の場合、過去には死刑にならないケースも少なくないが、判決は「犯行は冷酷で更生可能性は乏しい」として、検察の求刑通り死刑を言い渡した。
一方、高裁の審理はわずか1回。村瀬均裁判長は今月8日、死刑破棄の判決を言い渡した。死刑回避の条件となる「被告が更生する可能性」には触れず、殺害された被害者が1人という点を重視した。美奈子さんは「被害者や遺族に、とても『冷たい』裁判だと思いました」。東京高検は、友花里さんの命日にあたる21日、判決を不服として最高裁に上告した。美奈子さんは「市民が加わった裁判員裁判が出した死刑判決の重みを、最高裁は正しく判断してほしい」と話している。
「被告は父も含めて3人もの命を奪ったのに、意味がわからない」
21年11月、南青山のマンションで、金を奪おうとした伊能和夫被告(62)に殺害された五十嵐信次さん=当時(74)=の長男、邦宏さん(47)は悔しそうに話した。
伊能被告は昭和63年に妻を殺害し、自宅に放火し長女を焼死させたとして殺人罪などに問われ、懲役20年の判決を受けて服役。出所から半年後に、強盗目的で信次さんを殺害した。
1審東京地裁の裁判員裁判は「冷酷非情な犯行で前科を特に重視すべきだ」として死刑を言い渡した。しかし2審で村瀬裁判長は「前科を重視しすぎだ」として死刑を破棄し、無期懲役を言い渡した。伊能被告も最高裁に上告された。
犯罪被害者支援弁護士フォーラムの事務局長、高橋正人弁護士は「裁判員裁判が、先例と違う判断をするのは当然。高裁の裁判官が『先例と異なる』として1審判決を破棄するのは、裁判員裁判の制度を否定することになる」としている。
引用終わり
私自身は現状の裁判員制度については批判的ではあるのですが、それでも一定の意義を認めるのは、それが積み重ねられると、一定の段階で日本の法体系を「罪刑法定主義」へ転換させ得ると考えるからです。「罪刑法定主義」とは、犯罪事実、量刑、情状酌量による減刑等を予め法律に明記して、裁判官による裁量を封じ込める法体系のことです。
「裁判官は法と良心に基づいて独立して判決を書くのだから、裁判員裁判の判決を尊重しろというのは、『憲法第76条』と矛盾する」という批判はあるでしょうが、村瀬均裁判長にコモンセンス(良識)があるとも思えません。このような恣意的な(何が何でも死刑を回避する)判決を連発する裁判官を排除するためにも、「罪刑法定主義」への転換は必要だと思います。
本来、法体系は、その国民のコモンセンスの積み重ねが成文化されたものであるべきです。現代の裁判官の判決が国民から多くの批判を浴びるのは、それが国民のコモンセンスから大きく乖離してしまった結果といわざるを得ません。「判例主義」に陥って、何でもかんでも前例に従う裁判官がいる一方、先の「非嫡出子判決」のように、判例を無視し、国民のコモンセンスに真っ向から喧嘩を売る裁判官もいます。今や司法の権威も信頼も完全に失墜し、裁判所は「法律オタクの慰安サロン」と化しています。司法改革は待ったなしの段階に達しているようです。