舞台「ヴェッカー1983」は1983年へ未来から時間移動するお話。
タイムトラベルものは数あれど「未来から」過去へ行く物語は意外に多くない。
未来人に過去へ行く術を与えられて、その物語が記された時点の「現在」から過去へ行く、という話が多い…と思う。
「未来人の視点」で現代(及び過去)を視ているのが「ヴェッカー」の独自性だと思っている(思っているだけだけど(笑))。
いずれにしても、過去の出来事を変えることが許されず、変えることによって現在(未来)が変わってしまう、因って変えてはならない、というのが本筋。
最近のSFでは多次元論(いわゆるパラレルワールド)を扱った、未来はいくつもに分岐するから、どんなに過去に干渉しても平気?的な話が多くなったけど。
「時空警察」ヴェッカーは、ずっとこの「危険な過去への旅」を描いてきた訳ですが、タイトルを見てピンときた方も多いと思いますが「スター・トレックTОS」(「宇宙大作戦)」)のなかの珠玉のエピソードがこれでした。
僕は敬虔なトレッキーではないし、実はこのエピソードに出会ったのは意外につい最近。近く続編が公開されるJ・J・エイブラムス監督の「スター・トレック」の第1作を観た直後です。
何度も再放送を観、DVDも買ってたんですが膨大な本数がある事もあり、ずっと見逃していました。
敬虔な?トレッキーの友人に(「ヴェッカー」をやるなら)絶対観なさい!と言われていたので観なかった、というのもあると思いますが(苦笑)。
「永遠の管理者」の導きで1930年代のアメリカへ行くカークとスポック、カークはそこで出会うエディス・キラーという女性を愛するようになるが、彼女は近日、交通事故で死ぬ運命にあるという。彼女が死なない歴史の先にある未来ではカークたちのいる時代にはエンタープライズ号も、地球さえ存在しなくなっている。
カークは苦渋の選択を迫られる…
…というような話(自分的要約)…ですが…
一度観て以来、何度も何度も何度も観ました(さっきもまた観た)が、何度観ても同じシーンでクスリと笑い、同じシーンで胸が詰まる。
そして観るたびに新しい発見もある。
上にカークは苦渋の選択を迫られる、と書きましたが、選択する、というより、あっという間のとっさの行動で「それ(エディス・キラーの死)」は起こってしまう。
何度観ても「その瞬間」の直前、エディス・キラーを救いたい!と思ってしまう。
…そして「何度観ても」彼女は救われないのだ。
「名作」と呼ばれる作品は何年経っても何十年経っても(もうこの物語が作られてから50年近くが経っている!)いつ観ても新鮮でいつ観ても心に響くものですね。
よく僕は役者やライターに「時空警察」について「もし目の前で愛する人が交通事故で死ぬとわかっていて、その瞬間に居合わせたとしてもその人を助けてはならない」と説明して来ましたが、これからは「TОS」の「危険な過去への旅」を観てください、で済むなぁ。これを「観たから」時空警察を発想した訳じゃないんですが。
どっちが先かなんか関係ないですね。特に「時間もの」にとっては。
まだ観た事ない方は機会があれば観てみてください。
あまり勧めすぎるとかつての僕みたいに食わず嫌いしてしまうかもだけど。