平山亨著「泣き虫プロデューサーの遺言状~TVヒーローと歩んだ50年~」(講談社刊)を読んだ。
平山亨は本のタイトル通り、TVヒーロー番組を半世紀にわたり作り続けた伝説の(とはまだ言いたくない)プロデューサーである。
我が師であり、実際すべてにおいての師匠だった…じゃない、師匠である。
「遺言状」なんてタイトルがついているが、83歳にして未だ現役のプロデューサーなのだから。
平山亨と手がけられた作品に関してはぜひ本書を読んで頂きたいので内容は割愛するが、これまで著された著書よりも、相当ナマナマしく、僕の知る平山さん(僕は平山さんを「平山先生」と呼んだ事はない)の語り口調に一番近いと思う。
何よりも、これまでの著書では作品や作品に関わったスタッフ(平山さんは「達人」と呼んでいた)の方々の紹介の方が多く、ご自身についてここまで詳細に書かれたのは初めてじゃなかろうか。
断片的に聞かされたいた少年時代の話などが(70年以上前の事なのに克明に)語られていて、改めていろいろ共感した。
時々、平山さんと喋り方や歩き方(は関係ないだろ!)が似ていると言われた。
誕生日が同じで、僕が生まれる前の年まで僕の生まれた街(京都太秦)で監督業をされていた。
ちょうど僕の生まれた年から「悪魔くん」をはじめとする、ほぼ子供番組専従とも呼べる、プロデューサー人生が始まった…など、自分との接点を見つけては喜んでいた。
1通の手紙だけを頼りに「押しかけ弟子」になった…経緯は前に書いた。
今考えると本当に迷惑千万な奴だった。今でもあまり変わってないけど。
本文中、合計3行ほど、僕の名前が出てくる部分がある。
どの部分かはこれも本書をぜひ読んで欲しいので詳述はしないが、なんの脈略もなく、突然「畑澤が…」と登場する
注釈が無い本なので、この「畑澤」が何者か、殆どの人にはわからないんじゃなかろうか。
350ページに亘る本の中の3行ほどの登場。実際、毎日のように顔を合わせていたのは数ヶ月ほどだった。
350ページの中で3行程でも登場できて誇りに思う。
平山亨が「仮面ライダー」をヒットさせたのはちょうど今の僕ぐらいの年齢の頃だった。
…まだこれから40年もある(!)「まだまだこれからだ!」という気に、改めてなった。
(自称)弟子として、師匠に本当に恩を返せるのは、なんとしても作品を作り続け、そしていつか…師匠に負けないヒット作を作る事だ。
師匠にも、少なくともそれまでは現役プロデューサーであり続けて欲しい。