元キリスト教信者の告白・クリスチャンやめました。 -4ページ目

元キリスト教信者の告白・クリスチャンやめました。

長い間信仰生活を続けていましたが、不信感が積もり、とうとう耐えきれなくなってキリスト教をやめました。

しばらくぶりに日記を書きます。私の日常生活では、キリスト教に触れる機会はほとんどなくなっています。 

 

最近、全く関係のない人のアメブロ記事を読んでいると、自分のページにリンクされていることに気がつきました。そこで、近況報告を兼ねてこの記事を書くことにします。 

 

世界は変わりました。AIの登場、戦争、謎のウイルスの流行、地震、そして格差社会の広がりなど、多くの変化が起きています。変わらないこともあります。その一つは、日本のキリスト教人口が全く増えていないこと。 

 

クリスチャンだった頃、私は次のような疑問を持っていました。 

 

神は本当にこの世界を作ったのか? 

 

イエス・キリストは本当に“私”のために死んだのか? 

 

イエス・キリストは本当に神だったのか? 

 

天国は存在するのか?そもそも死後はあるのか。 

 

教会の存在は私にとって有益なのか? 

 

キリスト教は真の宗教と言えるのか? 

 

教会を離れた理由の一つには、これらの疑問に対する信仰が、自分の人生の幸せを犠牲にする価値があるのかという思いがありました。世の中の様々な価値観を無視して、神の教えに従うことが本当に有益なのか、自分自身で考える必要があったのです。

 

 クリスチャンの仲間にこれらの疑問を投げかければ、きっと「YES」という答えが返ってくるでしょう。私はその答えに納得できませんでした。中高生の子どもたちとキャンプに参加し、ユースの仲間と話し合う中で、「わからない」という姿勢を保ちながら、内心では違うと思っていたのです。

 

 現在の私には、キリスト教の神が真実であるという確信がありません。聖書には、イエスは「神の国は近づいた」と教えたと書かれていますが、「神の国が来た」とは決して言っていません。彼が語っていたのは、神の国に似て非なるものであったのかもしれないのです。 

 

こういう考えは、現代人のAIのニーズと似ていますね。日常の疑問はAIに聞けば解決しますが、AIにはない「愛」が不十分であると考える人たちが、なお信仰を必要と求めているようにも見えます。