子供の純粋性は、大人になるほど痛い | 元キリスト教信者の告白・クリスチャンやめました。

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長い間信仰生活を続けていましたが、不信感が積もり、とうとう耐えきれなくなってキリスト教をやめました。

私は、夏休みになればキャンプには毎年欠かさず行っていた程、キャンプ大好きっ子でした。年上のスタッフや青年たちと過ごす時間は、本当に楽しく、彼らから学ぶことも多かったです。特に神への信仰を傘下にした仲間の純粋さや正直さには、どこか懐かしくて愛おしいものを感じます。

思うのですが、神様を純粋に信じる人たちは、それだけで特別な才能を持っていると思います。それが、大人になるほど同じ神様を信じているはずなのに、頑なになったり、行き過ぎた律法主義に偏ってしまいます。これはまるで、大人になっても、サンタさんがくるのを本気で信じているような状態です。痛い大人たち、私には教会の大人たちがそういうふうに見えていました。

賢さとは何か、愚かさとは何かについて、私は時々考えます。私たちが絶対に正しいと信じている時、その確信が強すぎると誤った道に突き進んでいることに気づきません。今日学んだことが明日には役に立たなくなるかもしれない、ある人にとっては真実であることが、ある人にとっては不義である。その可能性についても充分検討する余地があるのです。

信仰においての純粋さは何にも代えがたいものですが、愚かになってはいけません。私は今でもそう思います。