キリストの信仰をやめてから、神について思い巡らす時間や労力は0時間になります。
教会に出かけることで、人間関係のプレッシャーや、奉仕の雑用から解放される利点がある一方で、自ら人生の目的や有意義を見つけていくことになります。
多くは信仰以外のことに意識が向くようになるのですが、何に時間や労力を使うのか、全く個人の判断になります。
自分が興味関心があること、信仰生活では気が付かなかった、ささやかな変化にも目がむくようになりますが、何に価値や基準を見出すかは、自分がその時どう感じたり思うかによります。