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沖縄に猫とダーツと林檎を連れて移住しました

2011年、単身沖縄に移住してきたナイチャーの日々とか考えとか。

■2011/3/30頃

ここまで毎日毎日、どこぞの独裁国のような安全プロパガンダ。
愚民洗脳活動とも言えるトチ狂った報道。とても正気の沙汰ではない。

横浜でも戸塚の浄水場から放射性ヨウ素が検出された。たった一日、それも半減期の短いヨウ素だけが検出されたという表向きの結果ではあるが、額面どおりに受け取るほど愚かではない。

情報は二極化され、情報収集能力と分析能力を持つものだけが得られる情報と、それ以外の者に与えられるお花畑プロパガンダの2つの情報ストリームが出来上がっていた。

そんな毎日、怯えるだけの日々。
だが、怯えの対象は単に放射性物質の拡散だけではなかった。
絶対的な危機が迫る中、連綿と変わらぬ毎日をおめでたく送り続ける、土壇場で思考停止な人々。彼らにより主流が形作られる狂った社会。

8対2の法則というのがある。
世の中の富の8割は2割の人々が独占し、2割の富を割の人々で分け合うというものだ。
が、これにはまた別の解釈もある。マクロに人々を見たとき、概ね8対2の比率に思考や行動などは別れるというものだ。

おそらくここでも8対2の法則は表れるのだろう。
8割の人は本質的な危機を認識すらできないままに過ごす。
残りの2割の中で、行動できるのはそのさらに2割。つまり4%。
それが検討の余地なき正解なのだから、俺はこれから、この4%に入る。

上司にメールで退職する旨を連絡。勿論行先も決まってなければ次の仕事も決まってない。だが、そんなことはこの状況で優先事項ではない。まずは出来るだけ遠くに逃げること。ここの優先順位を間違えたら、自然淘汰される側だ。

相談の結果、6月末での退職が決まる。一応世話になってる上司だし、これは死ぬ気で相当譲歩した。仕事を真剣に捉えていた自分の最後の意地を通した。これは正直愚かなことだが、生命を賭しても譲れないものがあった。本当に愚かなことではあるが。

あとは色々と具体的な行動計画を実行に移し、人知の及ばないところについては祈るだけだ。

一刻も早く、人間ー生物の生活が成り立つ土地へ。
年明けから直接正式雇用となる身ですが、最近給与体系の説明を改めて受けました。

成果給とかがいろいろあって、インセンティブなどもちょいちょいあるんですが…なんというか、『皆勤手当』が他の手当と比べ妙に高いんですよ。これは各支社の中でも沖縄独自だそうです。

内地企業が沖縄に進出してくれば、組織運営や勤務体系はやはり内地流。が、しかし働くのは俺みたいなナイチャーもいるけど大半は地元沖縄の人々。

と、なれば。『文化』の違いによるいろいろとアレレな現象も起こるわけですよ。賢明なみなさんはもうお分かりでしょうw

あくまで内地基準な物の見方なんですけど…なんか妙に急な休みを取る人が多いです。言っておきますが、善し悪しを論じてませんよ。あくまで内地基準に比較して、そういう事実があるってだけです。

こういう、無理をしないところはよくいえば沖縄文化のいいところなのかもしれませんし、人間としてはものすごく正解だと思ってます。ただ、やっぱり自分がそのノリに無理に染まる必要もないっていうか、自分は自分で無理なくやっていきます。結果、だいたい皆勤手当では良い目を見てますw

でもこれ、管理職側からしたらたまらんですよねwww

と、言うわけで。沖縄では皆勤することそのものがすっごく価値ある事のようです。妙に高評価の皆勤手当も、内地企業の苦肉の策ってことなのかもしれません。

通常、沖縄に移住したナイチャーは2~3年ほどは冬を暖かく感じて、周囲よりちょっと薄着なまま過ごすそうです。何といっても年間通して最低で10度位あるわけですからね。


しかし今日は朝方寒かった。

15度とか雪降るだろ、常識的に考えて。

と思ったので、今年初のコートを着て出勤。が、しかし。

周りの移住組はおろか、うちなーんちゅでさえそんなの着てなかった。

ということで、
初年度から沖縄の冬に(無駄に)適応したナイチャー
という誇らしい称号を頂いた。まさに

俺様最弱伝説の幕開け(寒さ的な意味で)であるorz

昔は微妙に雪国で子供時代を過ごし、高校生位までは割と寒冷地仕様の体だったのに、横浜やら三重やらで仕事をしているうちに低温属性魔法の耐性を失い、今となっては亜熱帯が最低動作要件になってしまうとは、どんだけ弱いんだ俺w

この先移住することがあっても、最低気温ラインが沖縄準拠という、
もう熱帯しかなくね?という我が体。

真面目にバンコクとかリオとか、そういう系の熱帯都市でしか生きていけなくなるんじゃないだろうか。