ものすごぅ古典的なタイトルですが、今日は電車で美術館に足を伸ばしてきました。
そして、何の偶然か、またまたオヤジ系の店に入ってしまいました。
たしか“八十吉”とかいうラーメン屋さん…。
2、3件先には競馬場場外馬券売り場などがあり、もう耳にエンピツ、机上に新聞、の世界であります。
筆者が下宿してた府中の近くには東京競馬場があり、京王線にはなぜか耳にエンピツをはさんだ叔父さんが沢山乗っていたのを思い出し、ほのぼのとした気持ちになりました。
筆者、どんどんオヤジ含有率が高まっているようです。
折角、タウン情報おかやまのお洒落なカフェ特集を買ったのに。
何の役にも立っていません。
その昔、お知り合いの彫刻家K先生が、「美大の女って女じゃないよなー」。
なーんて方言するのを聞きながら、
「どこが(`ω´♯)?!」
って思っていましたが、なるほどこんな処に端々に現れるものですね。
ムダ話はさておき
今日見たのはイタリアルネッサンス前夜、
ラファエロのお師匠さんであり、
レオナルド・ダビンチにも多大な影響を与えながら
日本ではほとんど紹介されていないある意味幻の画家(美術家)
ペルジーノ。
2年程前に尾道の市立美術館で「ヴェネチア派絵画展」がありましたが、
ペルジーノはその時代と大変近く、日本人が大好きなボッティチェリの弟分で
ダビンチの兄貴分くらいの年代です。
美術館のキャプションには「美術家」としてありましたが、
いわゆる「思い込み重視で自分の好きな絵を売り上げなど考えずに描く」ような芸術家、画家…ではなくて(こんなイメージ、誰が作ったんでしょうね、多分ゴッホからですね)、
自分の工房で売れ線のパターンを駆使してばんばん作品を量産し、大儲け
という、中小企業の社長のようなキャラ。
対してレオナルド・ダビンチやラファエロは当時の教皇や有力者のバックアップがあったので、絵画上で斬新な改革ができたということです。
ペルジーノは有力者のオファーは断って、工房制作にこだわったということですが、自分の絵の流行りすたりも感じていたのでしょうか。
一般の方にはあまりピンとこないかもしれませんが、
日本に本格的に“油絵”が輸入されたのは19世紀の印象派くらいから(倉敷の大原美術館にはたくさんありますね)。
ところが印象派っていうのは、当時の油絵のスタイルなどが散々煮詰まって、社会的背景も大きく変わってブルジョアが台頭したりの時代に表れたものすごーい実験的な過激絵画なのです。
何の間違いか、単なる偶然か、日本に油絵を持ち帰ったときには、印象派風に絵具を盛り上げたり、色をキャンバス上で混ぜまくったりが金科玉条の如くになってしまい今に至る…と筆者思うのですが!?
油絵は本来は卵で溶いた乾燥の早いテンペラの欠点を補うべく、乾燥を遅くして“ぼかし”をしやすくする絵具で、薄塗りが基本だった…のがペルジーノ展をみるとよくわかります。
残念ながら9月2日でおわりなのですが、美術館も補助金削減に苦しんでいると伝えられるイマ、こんな硬派な展覧会は貴重、と思って長々とご紹介しました。
画像は美術館のシンボル、巨大鉄製モニュメント。
ハトさんがたくさんとまってるよー。
