アートゼミ昌人先生は、子ども教室のほかに、社会人教室などいろいろなお仕事をもっているわけですが、


きょうご紹介するのは昌人先生の大学での講義風景。



芸術学という、「美術、音楽をも包括した、アートって何、的な講義です。



今日はリズミック=アートなどでおなじみの赤田晃一さんをゲストにお招きして


音楽の切り口からいろいろと語っていただいて、昌人先生が撮影をしたので、あたかも赤田先生一人、のように写っているわけです。



ちなみに今日のテーマは「私の音楽史」


学生達にレポートを書いてもらい、あとは“この一枚”!!っていうおきにいりの曲を持参してもらい


赤田先生が色々と、プロの視点からコメントするというものです。


話し聞いていると面白そうで、筆者思わずモングラー(菊地成孔の「東京大学のアルバートアイラー」という本に載っている造語、モグリのこと)になりてっ!!と思いました。


音楽史、だけでなく、私の美術史も作ってみると面白いでしょうね。



筆者の場合、


幼稚園時代・・・同級生のゆりちゃんの絵に触発されて、「私の方がもっと上手く描けるはず・・・と、黒い闘志を

            燃やして全力でお姫様を描く。


          母によると3歳ごろ京都でツタンカーメンの金のマスク展を見に行った、ということ。




小学校時代・・・3年生から絵の教室に行く。

          自由に描き、あとで先生が手を入れるスタイル。


          この頃生意気にも、学区はおさえたな、と勝手に思っていた。

          今思うと、全国のそんな輩が美大めざして行くんでしょうか。

          良かれと思って描いた毛糸のパンダのミニバッグの写生(実物の4倍はあっただろうか)

          を酷評され、少し凹む。


          5年か6年生で天満屋でギュスターブ・モロー展を見た衝撃と感動は今でも忘れられない。


          友人の家に遊びに行くとなんと美術全集があり、象徴主義の絵の美しさに、ともだちを

          ほっぱらかして画集に夢中になる。


          ついでに言うとその友達の家にはかなり音のいいステレオがあり、井上陽水の曲をかけていた。


          歌詞の面白さに感動。“なんで窓の外にはりんご売りなんだろう”、なんて思う。



中学校時代・・・学校に貼ってあったセザンヌのりんごの絵を見ていたく気に入り美しいと思う。

      

           中一から油絵を習い始める。美術部でも油絵。


           やはり教室に貼ってあったマネ(印象派作家)の絵が気になって、絵の先生のアトリエでマネを

           真似してマネ風に描いたら、思い切り手直しされ、自分のイメージとちがっていたので帰宅後

           泣きながらもとの通りに描きなおす。 だからといって先生の事はとくに嫌いになったりしてい

           ない。「えっさっさのさ、えっさっさ」が口癖の面白い先生だった。


            今もご存命なら奉還町のアトリエで元気に制作されているかも。



高校時代・・・・迷うことなく美術部に入る!・・といいたいところだが実は友達と一緒にESS(英会話クラブ)

          にも入り、カーペンターズなどを歌っていた。


          担任が美術の先生という恵まれた環境で、進学校なのに、先輩達もものすごい本気版のビリー

          ズ・ブートキャンプのような美術部に入部。


          徹夜で絵を描き、翌日の授業では耐えられず居眠りをして、先生の前で机上の筆箱や教科書を 

          すべて滑り落とす、という失態を演じる。


          自慢じゃないが、全国高校文化祭の岡山代表に選ばれる。たしか岡山県で2名。


          30号の油絵とともに金沢に行かせてもらう。



          進路を決めるとき、じつは外語系と美術系のどちらにしようか迷うが、美術に進むことにする。


          恥ずかしながら“多摩”美を“玉”美と書き間違えるほどのカッペ(田舎モノ)ぶり。



          このころ、初心者用美術史の本や外国版の美術書をむさぼり読む。


          母に油絵具代や本代をせびりまくり、苦労をかける。


          

・・・・・こんな感じでしょうか。



          皆さんも○○史をまとめてみては?



          面白いですよ。