津高台団地南着のバスが早く来すぎてしまい

、乗れなかったと思い込んで教室に引き返してブログを書き始めたところに2台目のバスが来て、

そこで初めて2台も逃してしまったことに気付いて唇をかみしめている筆者です。

(要するに一台目はすごく遅れて来たわけですな)



前置きが長くなりました。


今日の津高台アトリエは初めて粘土を使い、絵具も混ぜ込んで色付き粘土制作。



津高台のチビッコキッズたちもだいぶお片付けが上手にできるようになりました。


お片付けが出来て初めて一人前の作業ができたといえますから、これはとってもよろこばしいこと。



こどもたちが手がかからなくなればなるほど、子供たちの様子を観察したりコミュニケーションする時間がふえるので、その分充実したレッスンになります。


これが少人数制のアトリエのよいところ。



粘土を使うことで手の動きを柔軟にし、次々と変化する粘土の形態を何かに見立てることでイマジネーションを鍛えたり、ぐにゃぐにゃの粘土にはさまざまな効能があります。



規格品の陶芸とは異なり、偶然にできた形から何かを見つけることは、人間がずっと古代から何気なくやっていることだと思いますが、それをアートとしてとりあげたのは実は20世紀のシュールレアリズム運動から。


岡山県立美術館で7月から始まるピカソも実はシュールレアリズム運動に一口かんでおります。



自転車のハンドルとサドルを組み合わせただけの“山羊の頭”は中、高校の教科書に載るぐらい日本では有名な作品で、廃材を組み合わせて何かを作る、なんてメニューもかなり一般的になっていますが、その手法もピカソ経由のメソッドと言っていいでしょう。



粘土とピカソをからめてお話しましたが、創意工夫のキャパがすごく広いってことで、粘土をさわることとピカソの作品(制作姿勢といってもいいでしょう)は近しいといってもいいですね。



余談ですが先日、映画「羊たちの沈黙」レクター博士役で有名なアンソニー・ホプキンス主演で“サバイビング・ピカソ”というアメリカ映画を見ました。


主なストーリーは、ピカソの内縁の妻(正式に結婚してないから。大人な言葉ですな(ΘoΘ;))フランソワーズ・ジローが

彼との関係に疲れ、自分の自立に目覚め歩き始める…って感じですが、

筆者の個人的な感想を言わせていただけるなら


ピカソの“困ったちゃん”とか“情けない”ところとか人間くさい部分をしっかり描いてあるのが非常に面白かったです。


ねたみ、そねみ、にくしみ、いかり、かなしみ、かわいいと思う気持ち、自己愛、…これらいろんな感情のスパイスが沢山入ってるほど複雑な味わいになるのかもしれません。



派手な生活(何が派手なのかは映画を見てね)がとかくクローズアップされがちで、映画だけ見る限りでは「ピカソの奥さんって大変そぅ…」って思わず思ってしまいがちですが、もっともっといろんな切り口から見ると、意外とクールな商品開発エンジニアやビジネスマンなどの裏の顔が垣間見えたりするかもね。