ふれあいセンターの水彩画講座の後、メシ、もとい、昼食をとりながらブログを書くのが習慣化してしまった筆者です。


「初心者対象」と銘打ったこの講座ですが、微妙に経験者の方や、バリバリ経験者(なんと今ではフリーのイラストレーターの方も)の方も腕試しやリハビリ感覚(?)で来てくださいます。



カラーセラピーとかアートセラピーが流行ってきて、単なる技能習得以外に心のセラピー的な要素も多分に含んでいる「美術」は、設定をはっきりさせておかないと、すごい誤解を招くおそれがあります。


ふるえた線まで愛くるしい幼児の絵と、

何かを“表現”するのを目的とした作品と、
境界はかぎりなくあいまいです。


幼児から児童へと脱皮する途中段階では、「もうちょっとやな」と内心思いながらも「よくできたねー!すごいよー!これでいいよー」などの言葉を、励ます意味で連発することもありますが、「それではまだまだ表現しきれてないんですよ」って事実もワレワレ専門分野の者がもっとはっきりとお伝えしないといかんな、と感じます。



色や絵具によってもたらされる癒しと


技能をがんばって、伝えたい表現に近づけたときの達成感と


この二つは種類のちがうよろこびです。


さらに芸術には“発見や工夫”するヨロコビも。


人の脳って、発見や工夫にとっても快感や喜びをかんじるそうですよ。


この三つがみつどもえになって、さらに作家ともなると経済的なプレッシャーも加わりもっと複雑なのですが、それはさておき、


完全な自由なんてものはありません。


絵を描くには必ず何かの制約があって、その中で工夫するという知的作業なんですね。


私たちがアトリエや社会人教室でご指導させていただくのはそんな“意識”を持っていただくための、いわば草の根運動(?)ですが、深くご理解いただいた方は昌人せんせい主宰の春芽会で表現の芽を生やし花を咲かせていらっしゃいます。