マリーは、バックから水筒を取り出し、心地よい揺らぎに身をゆだね、乾いた喉を潤す。隣に並んだカヌーからハマーが、
「こうやって飲むビールがまた、格別にうまい!」
と、目を閉じて感慨無量な面持ちで大きな口を開いた。ハマーは黒人特有のヘビーな筋肉質のボディーで、見るからにいかついが、その見てくれに隠れた、深く温和な優しさは、いつもどんな時もマリーを包み込んだ。マリーにカヌーで川を下る楽しさを教えてくれたのも彼であり、今では彼女一人でファルトボートを背負って折り畳み自転車で川くだりに出掛ける事もしばしばで、、、ファルトボートというのは、折り畳むとゴルフバッグより少し大きめの背負いバッグに入るカヌーで、カヌーに乗る時は、逆に自転車を折り畳んでカヌーに積み込んで川を下って行く。
マリーは、この広大な大地を州を跨って流れゆくミシシッピーを、カヌーで下りながらその土地、土地の土地柄、風習、人柄を肌で感じ取り、それを心に刻んできた。彼女の目標は、在学中にこのミシシッピーを完全に制覇すること。
「ねぇハマーおじさん。どうして水の上ってこんなに気持ちが安らぐのか、私わかったの」
「へ~、凄いな、どうしてなんだ?」
ハマーは、優しく微笑み返した。マリーは大学の授業で生物の教授が話してくれた「f分の1の揺らぎ」の話をハマーに聞かしてあげた。
「f分の1の揺らぎ」とは、アメリカのJ.B.ジョンソンという人が真空管の出す雑音を研究中、特徴のあるパワースペクトルを発見し、それをf分の1ノイズ(雑音)と呼んだことから始まる。
「ゆらぎ」とは、理路整然と並んでいるものが少しずれることを意味し、ものの予測のできない空間的、時間的変化や動きの事を言いう。連続的だけれど一定でない。たとえばそよ風や、小川のせせらぎや潮騒の音のなどがそれである。音だけではない、木の年輪や植物の葉など、輪郭や形状など視覚で認識する物からもこの「f分の1の揺らぎ」は伝わるとされている。宇宙や大自然の中に「f分の1の揺らぎ」に合致すると思われる現象が色々とあり、人間のここちよさと、深いところでつながっているのではないかと考えられている。
自然界の現象だけでなく、人間が造りだしたモノの中にもこの「f分の1の揺らぎ」は存在する。例えば、絵画や彫刻、音楽などであり、音楽の強弱やテンポ、絵画の濃淡の変化、彫刻の輪郭のラインなどの中に「f分の1の揺らぎ」が存在する。しかし、規律正しく機械的に造りだされたモノの中にはこの「f分の1の揺らぎ」は存在しない。
赤ちゃんが母親のお腹の中で聞く、母親の心音もまさにこの「f分の1の揺らぎ」を奏でている。
「マリーは、大自然の中で水に揺られている時、お母さんの存在を感じているんだな」
「うん^^」
暖かい春の陽気が
水面に揺らぐ二人を優しく包み込む
If the sky that we look upon
Should tumble and fall
Or the mountain should crumble
To the sea
見上げればいつもそこにある空が
たとえ崩れ落ちてきたとしても
たとえば山が 海の中に崩れ落ちてしまったとしても
I won't cry, I won't cry
No, I won't shed a tear
Just as long as you stand
Stand by me, and
私は泣かない 泣いたりしない 涙なんか 流したりしない
ただあなたが私のそばに いてくれる限りはね