5月とがんの話 | Bis morgen

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関西在住、夫と二人暮らしの40代主婦の徒然…のはずが、2021.5月乳がんが思いがけず見つかり生活が一変。ルミナルHER2ステージⅡb。術前ケモ、手術、放射線、カドサイラ終えてホルモン療法中

今やつまらないことでも怖くなって病院行ったり検査受けたりしてるワタクシですけれど、元々健康診断ですら何年も行ったことありませんでした。

全然体調におかしいとこなんてないし元気元気ニヤニヤ

と過ごしていたその真っ只中、ソレは見つかりました。

2021年5月初旬

GW中、ワタクシは胸にチリチリした痛みを一日に何度か感じるようになりました。

元々ホルモンバランスの関係でしこりが出たりおさまったりといったことが何年も前からあったから(この時は乳腺症といった診断だった)、胸にしこりがあっても放っていたワタクシ。

なんだろ?しこりのあたりがチリチリするのって??

と触れた時の

「え滝汗?」

という感覚は忘れられません。

ワタクシのしこりはこんなに大きかったのだろうか?滝汗確かに…確かにここにしこりあったけど、今は大きくなるタイミングではないしそもそもこんなに大きくなかった気がする…

さすがのワタクシも危機感を感じ、病院に行く?放っておく?をグルグル悩み、当時の同僚に打ち明け背中を押されていよいよ病院へ行くことに。

この時同僚に打ち明けるきっかけになったのは、GW明けてすぐの5/8。

彼女と会っていて、商店街歩いていたら占いのお店があり「見てもらおっか」と彼女が言い出したことに

「未来…私の未来…私の未来…未来…あるんだよね…?」と思った瞬間。

「私、今怖くて先の事とか聞けないかもしれない…」と切り出しましたっけ。あの時の占いのお店と同僚にも感謝しなければならないです。

とはいえ、就いたばかりの仕事で休むのも躊躇われたし、残業してたら病院行けない。

土曜日にマンモが出来る病院の予約を一番早く取ったところ、翌週5月15日となりました。それでも思い立ってからは早かったと思います、検査行けたの。

2021.5.15

エコーで初めて見せられたしこりはトゲトゲしくて素人目にも「コレなんか違う。ヤバイ不安と思わされる代物。

「紹介状書くから早急に大きいとこいってほしい。家の近くだったらタンタン病院と某病院あるけど、どちらがよい?明後日の月曜日行ける?」

と一気に言う先生の言葉はワタクシの「ヤバイ」が思い過ごしではないと思わされましたっけ。

あまりの勢いに押されて、どちらの病院も行ったことなかったけど先に名前を出されたから「じゃ…じゃあ、タンタン病院で…」とあまり考えもせずお答えしました。

あの時タンタンのいる病院を選んで良かったと思いますし、そこでの主治医がタンタンであってくれたこともホント良かったと思ってます。

で、さすがに月曜日から休めないから行く日は水曜日にしてもらって、ワタクシは画像のCD-ROMや紹介状を紙袋に入れてもらって帰路につきましたけど、重みがありましたねぇ…

その2年前に母を膵臓がんで亡くし、その更に2年前には叔父が胃がんで亡くなり、母方の祖父母やその兄弟もがんだったことからワタクシは自身もいずれはその恐れがあるだろうと漠然と考えてはいて。

とりあえず叔父が亡くなった後に当時簡単な入院手術保険しか入ってなかった生命保険にがん保険をつけました。

その時プランを考えてくれた担当さんが通院保障や女性特約とかも医療保険にオプション付することを勧めてくれたので「ほんじゃまあ…」とまとめて見直しを行ったのもそんな経緯からだったんです(かなり助けられたから本当あの担当さんには感謝してる)

それでも母も叔父も70越えてからがんが見つかったから、ワタクシもその頃だろうなぁなんて思ってたのに早すぎやろ。予定より30年は早いわ。

えー…えー…ネガティブ

帰り道、そんなこと考えてましたね。理不尽というかなんというか…

2021.5.19

この日タンタンと初めて会いました。

真打ち登場

見立てではがんの疑いがあるから今から組織を生検に出します。生検結果出る前にMRIも撮りたいから5/24にやりましょう。生検の結果は5/26になります。その結果がんが見つかったらCT検査します。

と一気にスケジュールを述べられました。

スピード勝負のタンタン、検査もともかくスピーディーでした。

急ぐってそんなに悪いの驚き

と不安になりましたが

後日治療で看護師さんに尋ねたところ

「アレはタンタン先生の通常運転です」

と言われました。

「(検査にしても治療にしても)さっさとやらないと不安でしょ?え?違うの?」

と、本人からも逆に聞き返されました。いや、違いねぇ。なんも間違っちゃいねぇ

2021.5.26

予約時間に間に合うように病院へ行き、エントランスにある予約受付機に診察カード差し込んだら

ガーーーーーーー

ってなっがいなっがいレシート(予約票)が出力されてきて

何事だよ絵巻物か驚き

と内容見たら

もし結果がよろしくなかったらCT検査だけって聞いてたのに、それどころか心電図やら心臓エコーやら採血やら歯科口腔やらもうともかく何個も何個も聞いてない検査が予約されてるわけよ、レシート



え、ていうかなに?

これ、告知?ワタクシは今、予約受付機にがん告知されてんの真顔

主治医から告げられるより先に、機械に教えられるって…しかもこんなところで…泣きもできなきゃ座り込みもできやしないじゃないか…

意外すぎる告知に引きつった笑いすら出てきました。「え?お前なの?お前が俺様に教えてくれんの?亅みたいに。ある意味、診察前に心構えが出来てしまいました。

待っていた夫にレシート見せて「やっぱガンだったわ」と告げた時の顔、忘れられません。あと、ワタクシが職場に翌日から早退や休みが必要になる旨電話をかけて戻った時ボンヤリした表情で座り込んでた姿も。

病気になったのはワタクシだし、何が悪いわけじゃないだろうけど「ごめん」って思いました。

その後の診察で改めてタンタンからの告知を受けて

今後の治療スケジュールを(売れっ子アイドルに明日のスケジュール伝える敏腕マネージャーの如き)あの調子で言われる中でワタクシは抗がん剤受けることを一回では承諾できませんでした。

2年前、抗がん剤治療していた母親の姿が浮かんで「私も同じようになる」と思うと、ちょっとね…

タンタンにそれを伝えたら、例のタンタン節で秒殺されて(いい方に。それで「この人に任せよう、もう」と受ける気になった)

そこから怒涛のタンタン(工場長)による超高速レーン(ベルトコンベア)での治療がスタート(翌5/27CVポート留置手術、翌々日5/28より抗がん剤スタート)しました。


5/26は、タンタンがワタクシを治療の(高速レーン)ベルトコンベア上にぶん投げた記念すべき日です。

5月の頭にしこりに気づき

1週間ほど病院行くか否か迷い

2週間目にほぼがんと自覚し

3週目に予約受付機に告知され

5月の最終週から治療が始まり

5月という月は、がんで始まりがんで終わったからワタクシの中でなんとも思い入れがあるというか、なんか考えちゃうなぁという月なんです。

ワタクシはつまらないことに頑固で怖がりなもので

もし2年前、迷い迷って怖くて見ないふりして先延ばしにしていたら

抗がん剤で迷って治療を拒否していたら

今こうしてあちこち不具合はちょいちょいあるものの、ほぼ普通に日常生活送れるようになって本当に色んな事に感謝してます。

毎年5月がくる度に、あの頃の毎日が不安だったことや夫の表情や、タンタン含めていろんな人に助けられたことや、長いレシート吐き出した予約受付機のこと思い出すのでしょう、これからも。


ただ、今回は5月入った途端クソみたいな仕事のせいで全く干渉に浸るどこではなかった。

…5月って、ワタクシにとって鬼門なんだろうか…ろくな事ありゃしない